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蘇州情報 |
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ニットプランの製品はこんな古城(まち)でつくられています。
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蘇州情報―獅子林―120405
「拙政園」から南へ100m程歩くと「獅子林」へ着く。

『元代至正2年(1342)の高僧天如禅師惟則の弟子が禅師のために、ここに禅式の庭園を築造した。
禅師はかつて浙江省の天目山の獅子崖で修行し、如来説法の仏典を「獅子吼」と称するところから、
獅子林と名づけられた。
園内は花崗岩の奇石や太湖石が林立し、その太湖石を積み重ねて作った築山は迷路のような洞窟と
なっている。その妙を称え、獅子林は「築山王国」とも呼ばれている。
清の康煕、乾隆両皇帝は、南方巡回の際、数回にわたりここを訪れ、北京の円明園、承徳の避暑山荘
には獅子林をまねて太湖石の築山を作らせたことから一躍天下に知られることになった。
最後の園主は、蘇州博物館新館の設計を担当した、世界的に著名な建築家である貝律銘氏の父君。』
蘇州有情(http://www.sy-tour.net/)より(写真も)

来週、蘇州から客人5人が来日する。
全員初めての訪日、東京を4日間、移動日を含め大阪、京都、奈良を4日間と
かなりのハードスケジュールと思われるが旅行会社に聞くとそうでもないそうである。
世界文化遺産のレポートをお休みにし、次回から客人の道中記をレポートする事に。
蘇州情報―滄浪亭―120428
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南北に走る人民路、東西に走る干将路が市内をほぼ4等分する。
干将路の南、人民路に面して東側に滄浪亭はあります。
歴史の有る古い庭園にしては、
観光客が少なく落ち着いて散策できる穴場です。
ここは北宋の詩人「蘇舜欽」が建造したもので園外は一面の碧水に囲まれており、それに沿った
二重回廊は緑を抱え込み、園内の青々とした竹林と山林の野趣に富んだ景色が一体となっており、
静寂に包まれます。

『500名の賢人詞』は春秋時代から清時代までの2500年余りの時期に蘇州地域の民間の賢人と知名の
官吏594人の石碑彫刻の肖像画が嵌めこまれています。
「獅子林」、「拙政園」、「留園」と蘇州の宋、元、明、清の四大庭園に並列し世界文化遺産に
組み込まれています。
新緑の季節、正にこれからの時期に建物の窓格子を通して見る風景も一見の価値ありです。(写真)
昨年までここの敷地内に有った「蘇州美術館」は移転されたがそのあとはどうなったのか?
今度確認しておきます。

人民路を挟んだ反対側に孔子廟があります。正面の大きな門をくぐると大きな孔子様の立像が目に飛び込んで
きます。中国では余り人気が無いのかなと思うほど観光客は多くありません。
こちらも一緒にどうぞ。
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| 蘇州情報―耦園―120421 |
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市内中心地の東方、平江歴史街区に耦園はある。
(すぐ近く南方向に蘇州大学本校がある。)
『7,992㎡の庭園は東西二つに分かれ、対をなした配置で庭園の名称「耦」の意味(耦と偶が対になっている)
を示している。2000念に世界文化遺産に組み入れられた。』
(蘇州市観光局ガイドブックより)
入園料は20元(約260円)。3方を水路で囲まれ10の主だった建物がある。
バス路線のある干将路から歩いて10分位かかる為、入園者は思いの他多くなく、ゆっくりと園遊出来る。
3~5月、9~11月がお薦めの時期でそれ以外は入園料15元(約195円)
平江歴史街区、及び近くには蘇州博物館、蘇州美術館、拙政園、獅子林、北塔など多くの見所があり
1日ではとても回りきれない。
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| 蘇州情報―世界文化遺産―120414 |

中国文化遺産、蘇州古典園林のうち拙政園と留園は中国四大名園(残りの二つは北京の頤和園と
承徳の避暑山荘)の二つに数えられる。
また、宋代の滄浪亭、元代の獅子林、明代の拙政園、清代の留園の4つに時代にそれぞれ作庭起源を
もつ庭園を合わせて“蘇州四大園林”ともいう
そのひとつ留園は蘇州市の北西部に位置し、何時も多くの観光客で賑わっている。
他の蘇州古典園林と比較して欧米人が目に付く。
その昔(20年くらい前??)日本の高級中華料理店「留園」のTVコマーシャルが流れていてこの店の
オーナーは蘇州の人と思ったのを思い出す。

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| 蘇州情報―世界文化遺産―120407 |
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中国には29の世界文化遺産がある。その内の一つが蘇州古典園林、次の9つの庭園の総称である。
(拙政園、留園、網師園、環秀山荘、滄浪亭、獅子林、芸圃、耦園、退思園)
『 蘇州古典園林の庭園の多くは明の時代に建設された。これらの多くは地元の名士により作られたもので、
公共事業としてではなく、個人の趣味で置かれたもので、皇帝所有の庭園である皇家園林に対して私家園林という。
庭園は豊かな水を利用し、池を配置した素朴な美しさを特徴とする。蘇州以外の江南の地にある名園(例えば上海の
豫園)を含めた“江南私家園林”が総称として中国国内では一般的である。
蘇州古典園林のうち、拙政園と留園は中国四大名園の二つに数えられる。また、宋代の滄浪亭、元代の獅子林、
明代の拙政園、清代の留園の4つに時代にそれぞれ作庭起源をもつ庭園を合わせて“蘇州四大園林”ともいう。』
(Wikipediaより)
蘇州は東洋のベニスと言われる、水の都。
豊富な水を利用し池、堀が多く取り入れられたこれらの庭園の様子を次回から。
(写真は世界文化遺産とは関係ありません。蘇州市郊外の周庄にて)
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| 蘇州情報―骨董品―120331 |
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蘇州市内には孔子廟以外でも骨董市が開かれ(写真)る他、街のあちこちで骨董品は売られている。
見るからに古そうで歴史を感じさせるものが溢れているが本物は????
値札もかなりいい加減と思われる値段が付いているか付いていない。
「多少銭?=いくら?」と聞くと法外な値段を言われる。「欲しいけど高すぎる」と言うと
「いくらなら買う」と言われる。
ここで日本人感覚だと1~2割を値切ればオンの字と思いがちだが、まだまだ。
三分の一以下の指値をすると
「そんな値段では売らない」と言う店主と「それは安すぎる」と始め、一割引次に二割引と下げてくる。
(そこでつい得した気持ちになり買ってしまうのが日本人)
「三分の一はひどいだろう、半分でどうだ」とある店主は売ってくれた。
(と言うことは半値でも利益が出ると言うこと)
本当の値切り上手は三分の一と二分の一の間で買う人だろう。
骨董品ではなかったがサンプルとして手袋を市場で買った時の事。
値切らずに手袋をチェックする事もなく買ったら「あなたは中国人でないね」と声を掛けてきた。
「そんならマケテ」と言ったら「最初に言わなきゃ駄目」。
脇に小さな子供がいたので「その分で子供にお菓子でも買ってあげて」と帰ってきた。
袋から出して見た手袋は左右で大きさが違っていた????
中国の人は良く言う、「あなたはそれを買ったんだ」と。
「現金その場限り」とはよく言われるが「現品もその場限り」を肝に銘じておく必要あり。
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| 蘇州情報―孔子廟―120324 |
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(硯と墨・・・これらは骨董品ではありません。)
TV・BSで放映中だった「孫子の兵法」が終わってしまった。虎丘山にまつわる話があったのかどうか
解らずに。
見逃したのかもしれないがいずれにしても残念。近いうちに再放送が開始されることを望む。
そんなことを思っていたら、別の局ではあるが「孔子伝」という番組が始まっているのを目にした。
『孔子(紀元前551年9月28日‐紀元前479年4月11日)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。
氏名は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子とは尊称である(子は先生という意味)。
孔子廟(こうしびょう)は、中国、春秋時代の思想家、儒教の創始者である孔子を祀っている霊廟
(霊を祀る建物)。一般的に孔庙(簡体字)/孔廟(繁体字)と呼ばれる。また関帝廟が武廟と呼ばれるのに
対比して文廟とも呼ばれる』(Wikipediaより)
蘇州にも市内の南東地区にある。地元の人は文廟と呼んでおり、写真の通り立派な建物と共に孔子像も
存在感を持って建っている。
然しながら、蘇州の孔子廟は孔子をお参りする人よりもはるかに多くの人がここの中庭(広場)に集まってくる。
特に土曜、日曜の両日は広場が埋め尽くされる。
骨董市が開かれるのだ。お店を出す人は地元、均衡は勿論、遠くウイグルの方からも来ている。
玉を取り出す石の他、ありとあらゆる骨董品が並ぶ。
じっくり見て回ると一日掛けても見切れないくらい。本物か偽物か見極めながら、値切りながらの楽しい
時間が過ごせる。
本物、偽物の見極め方、値段の値切り方は次回に。

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| 蘇州情報―シルク―12031 |
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蘇州市から南に約2時間バスで走った所に中国一財政が豊かな鎮(街)と言われた絹に関わる生業を
主にした鎮(街)がある。
生糸は一時期、日本を代表する産業であったが今や見る影もない。
全世界生産量の80%以上は中国で生産され、この鎮(街)がある江蘇省がその中国を代表する地域である。
写真は昔懐かしい生糸の生産工場のごく一部である。
天然繊維を代表するシルク製品は徐々にそのシエアが少なくなり、ポリエステル等の化学繊維製品が
今の世の中に溢れている。
しかし、一度シルクの製品を身につけた人はその肌触り等、着心地の良さに魅了されシルクファンに
なっている人も多い。
確かに、吸汗放湿、軽くて暖かい、静電気が殆ど起きない等シルクならでは特徴がある。
野蚕と言われる天然の蚕の繭は晴の日も、雨の日も中の幼虫、さなぎを守っていることでも理解できる。
中国のこの地域の工場でも生糸作りから製品まで一貫して作る工場は少なくなっている。

中国に次いでブラジル、タイ、インド、ベトナム等でもシルクは作られているようだが中国の寡占が
問題になるより良いかもしれない。
  
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蘇州情報―虎丘山Ⅱ―120310
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虎丘山を訪れた際、園芸通には万景山荘の盆栽も必見。中国では最大規模の盆栽庭園で
蘇式といわれる盆栽の名品が600余りもある。
訪れる人は虎丘山の混雑と比較すると思いのほか少なく、じっくり、ゆったり
満喫する事請け合いだ。

庭園を管理していた人の話。
「日本の大手自動車メーカーの、お偉い方が来て、新車1台とこの盆栽を交換して欲しいと
言われたことがある。もちろん断ったがね。」
どこの自動車メーカーかは聞きもしなかったが、車は一日に何台も生産出来るが、ここに有る
盆栽は数百年経ったものが殆ど。どんな思いでそのお偉いさんは申し出たのか、首をかしげると共に
同じ日本人として恥ずかしく思ったものである。
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| 蘇州情報―虎丘山Ⅰ―120225 |

『虎丘は蘇州の城外西北に位置する標高30メートルあまりの小高い丘。太古の時代には
海中の小島であった。
虎丘の歴史は長く、歴史ロマンをかきたてる遺跡も少なくない。春秋時代の呉王闔閭(コウリョ)が
ここに葬られ、三日後には白虎がここに臥していたという伝説から虎丘と名づけられた。
剣を愛した父闔閭(コウリョ)のために息子の夫差は3000本の剣を埋めたと言われる。始皇帝や
孫権がその剣を探し求めて掘られた剣池、唐妓女真娘の高潔を偲ぶ真娘墓、闔閭(コウリョ)の墓を
建造した千人の工匠達を殺戮、鮮血に染まった岩石は雨のたび紅く染まったと伝えられる巨岩の
千人石など、歴史にまつわる見所は多い。

丘の上には蘇州のシンボルである北宋年間(961年)創建の雲岩寺塔(別称虎丘塔)がそびえ立つ。
高さ48m、八角七層の古塔は中国で最も古い塔の一つで全国重点保護文物に指定されている。
たびたびの火災で傾き、中国のピサの斜塔とも言われている。
《見所スポット》雲岩塔、剣池、試剣岩、千人岩、断梁殿、万景山荘、第三泉、真娘墓など

●入場料 60元(シーズン)、50元(シーズンオフ)
●住所 虎丘路
●電話番号 0512-67232305
●開館時間 8:00~17:00
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アクセス 公共バス 遊1、遊2、146など 「虎丘」下車』
(蘇州有情 http://www.sy-tour.netより)
今TV・BS放送で「孫子の兵法」が放映中だ。
春秋時代の呉の6代国王闔閭、7代国王夫差、孫武、伍子胥を中心にした物語である。
この虎丘山が物語の中に出てくるのかどうか???
大いに楽しみである。

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| 蘇州情報―蘇州博物館と北京故宮・後篇―120219 |
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先日、東京国立博物館平成館で北京故宮博物院200選を見学中に思い出したのが蘇州博物館の事。
『2006年10月6日に蘇州博物館の新館がオープンした。新館設計は、蘇州出身の世界的に有名な
建築大家貝律銘。
ルーブル美術館のガラスのピラミッド、ボストン美術館東館、香港中国銀行ビル、日本では魅力ある
美術館として名高いMIHO美術館など、世界で名だたる建築物の設計に携わってきた貝律銘85歳の、
まさしく故郷に錦を飾る最後の大舞台となった。
建物は入り口ホールから左右に西館、東館と分かれ、地上2階、地下1階からなる。蘇州庭園の要素を
現代風にアレンジした建築も見物だが、展示品も1点1点細やかに配置され、ゆっくり楽しむことができる。
西館は蘇州周辺で発掘或いは寄贈された古代収集品からなる。虎丘雲岩寺塔と瑞光寺塔(北寺塔)内
から発見された五代から北宋年間の宝物が「呉塔国宝」の第1、第2室に展示。「呉地遺珍」には、新石器
時代の良渚文化の玉器,陶器から、春秋時代の青銅器、六朝、五代期の陶磁器、元明時代の古墓副葬品
などが展示され、呉の地の歴史文化の流れが概観できる。
東館は現代作家のギャラリー。趙無極、祭国強、徐氷等海外でも著名なアーテイストの作品が並ぶ。
地下1階には、特別企画展示室があり、館贓品を紹介するビデオシアターも常時上映されている。
地上2階には、明清時代中国画壇で一世風靡した「呉門画派」の重鎮沈周、文徴明、唐虎、仇英ら4人の
作品が展示されている。
中国語、英語の音声ガイドもあり、明清時代、中国文化の中心だった蘇州の文化歴史の流れ、その特徴を
概観、理解したい方にはぜひお勧めしたい。
●入場料 20元(現在は無料)
●住所 東北街204号
●電話番号 0512-67575666
●開館時間 9:00~17:00
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アクセス 公共バス遊1、遊2、遊5、529、309、202など
「蘇州博物館(拙政園、獅子林)」下車。

蘇州博物館の旧館にあたる太平天国忠王李秀成の忠王府も整備されました。共通チケットで
参観できますのでぜひこちらも。また新館を設計した貝律銘のかつてのお屋敷、獅子林
(世界遺産登録庭園)も博物館の直ぐ南にありますので、足を伸ばしてみましょう。』
(蘇州有情 http://www.sy-tour.netより)
北京にお出かけの節には北京故宮博物院を、蘇州にお出かけの節は蘇州博物館を
是非訪れることをお薦めしたい。
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| 蘇州情報―蘇州博物館と北京故宮・前篇―120211 |
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上野の東京国立博物館平成館で「北京故宮博物院200選」を見てきた。
と言っても殆どは人、人、人の背中と頭を見るのが9割、残りの1割で200選の一部を垣間見、特別室の
10分程のビデオ映像を見て納得して帰った状況であった。
ビデオ映像は清の第6代皇帝乾隆帝を中心に纏められていた。
『故宮博物院は明・清両王朝の宮殿建築と宮廷収蔵を基礎として設立した総合的な国立博物館である。
北京市の中心に位置しており、前方に天安門、後方に景山、東に王府井商店街、西には中南海という
昔の皇室庭園がある。
同博物院は1961年に中華人民共和国国務院によって指定された全国初の「重点文物保護単位」の一つであり、
1987年にはユネスコ世界遺産に認定された施設でもある。
中国古代の星象学では、紫微垣(北極星)は天の中心であり、天帝の居住するところである。
天人対応の思想によれば、人間の皇帝が居住する皇宮は天上の紫微宮に相当する。そのため皇帝の
皇宮を紫禁城と称するのである。
明の第三代皇帝である朱棣は帝位を奪ったのち北京に遷都することを決め、紫禁城宮殿を建て始めた。
明の永楽l8年(1420)、この宮殿は完成した。
1911年の辛亥革命によって封建帝制最後の王朝―清王朝が倒れ、退位した溥儀は1924年に
紫禁城を追われた。この五百余年の間、24人の皇帝がここに住み、中国全土への統治を行なったの
である。』(www.dpm.org.cn/より)
何年か前、北京故宮博物院に行ったことがある。
たまたま、ある建物に修理中の表示があり「博物館はどこに有りますか?」と聞いた。聞かれた相手は
「???全部が博物館だよ」との返事。恥ずかしい思いをしたものだ。
広大な敷地に入って巡り始め、「全部見るには1週間有っても見切れない」と思ったものである。
今回の北京故宮博物院200選を見て「・・・・・。蘇州博物館の方が素晴らしい。」と正直思った。
北京故宮には117万点もの美術品、宝物が有ったという。その内の200点だけが今回の東京国立博物館
平成館に展示されているだけなので、今回の展示物がうんぬん言う訳では勿論ない。
是非現地でも見てほしいものである。
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新蘇州情報―蘇州の歴史―120204
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『古くから長江の南に位置する、江南の主要都市として栄えてきた。春秋時代に
呉の都が置かれ、呉文化圏の中心であった。伝説によれば、諸樊がこの地を本拠と定め、
諸樊の子孫の闔閭が呉の都として整備したと言われている。臥薪嘗胆、呉越同舟の舞台である。
秦以後には会稽郡、後には同郡から分離した呉郡の役所が置かれた(同時に呉県の役所も設置された)。
隋代に蘇州の名が始まったが、南朝最後の陳末の民衆反乱(589年)で町が破壊されて郡の役所なども
他の町に移されており、本格的な再建は役所を蘇州に戻した唐の太宗時代以後のことになる。
五代十国時代には呉越国の都となり、北宋の神宗時代に府(首都に准じる都市)への昇格に伴って
平江府、元には平江路と呼ばれるようになった。この間、金の南宋遠征軍が平江府を攻撃して再度町は
大規模な打撃を蒙った(1130年)が、南宋政府によって再建されている。元末の張士誠も呉王を称して
蘇州に都した。明になると、蘇州府が置かれて以後は現在の蘇州という名称が固定化された。
江蘇省の省都は現在南京に置かれているが、歴史的に清代には江蘇布政使が蘇州に駐在し、
太平天国は蘇州を蘇福省の首府とした。南京に都した中国国民党時代には蘇州に江蘇都督行署を置き、
日本軍占領期にも江蘇省会であった。』(Wikipediaより)

今TV・BS放送で「孫子の兵法」が放映中だ。
春秋時代の呉の国6代国王闔閭、孫武、伍子胥を中心にした物語である。
今の蘇州を思わせる場面はほとんどないが興味津々夢中で見ている。
この国王が現代の蘇州の礎を築いたのは2500年以上も前の事ながら、その痕跡を残す所は
あちこちに有る。
・虎丘山、太平天国府、平江街・平江路、石路、まだまだ沢山。
順次レポートしていきたい。
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| 新蘇州情報―観前街と春節―120128 |
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蘇州市内一番の繁華街「観前街」は道教寺院『玄妙観』の門前町。

『玄妙観は西晋の咸寧二年(276年)に建てられ、過っては真慶道院、開元宮、天慶観ともいわれた。
玄妙観は蘇州の道教寺院のトップ格の存在で、市内観光スポットでもある。
高くそびえ立つ勇壮で美しい建築物群は南から北へ山門の正門、三清殿、弥羅宝閣があり、
その他の神殿と楼閣が周辺に配置され、月の周りの数多くの星のように三清殿を巡って建てられている。
三清殿は中国に現存する最大の宋代(960~1279)の殿堂、長江以南最大の木構造の
古代建築物で国家クラスの重点文物保護指定を受けている。』(蘇州市観光ガイドブックより)
浅草と銀座をミックスしたような所で敷地内には仲見世のようにお店が立ち並び多くの人でいつも
賑わっている。
メインストリートには近代的な百貨店、中小のお店が軒を連ねる。
百年老店の看板を掲げた多くの老舗も点在する。

その中の一つの店。
表側では蘇州名物のお菓子類がたくさん並び、奥で麺と点心が食べられる。
店の壁にはよく知られた政治家の写真も並び多くの著名人が訪れた事がわかる。
(麺も点心料理も安くて美味しいのだが店員のマナーが今一なのが残念。)

特に土日、祝日には身動きもままならない位の人が溢れるのだが春節の今はどんな
状況なのだろうか。
春節の時期は人口が60%になるといわれる蘇州。
工場経営者が田舎に帰った工人たちが全員戻ってくるか心配する春節でもある。
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| 新蘇州情報―酒―120121 |
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ニット工場のオーナー(董事長・総経理)が「特別な人にしか飲ませない、美味しい
お酒を用意した」と昼食時に振舞ってくれた。
1月の蘇州は日本と同じ寒い日が続いていた。
ヤカンに入ったそれは当然温めて飲むものと思い込んでいたが冷の方が美味しいという。
ガラスの器に注がれたそれはやや濁った日本酒のように見えた。
と口に含んだ瞬間、やや酸味があり『ワイン?』と思った。
「いや、ワインではないよ。お米で造った、日本酒と同じだよ」
「アルコールは何度ですか?」「解らない」と解らない返事。
工場専属の料理人が作ってくれる家庭料理、
・野菜炒め(チンゲン菜?庭で育てている自然栽培の野菜とのこと)
・豚の干し肉(牛より美味しい!!)
・豚肉の角煮(コラーゲンたっぷり)
・魚の煮付け(やや小骨が多い、鮒?)
をつまみに「乾杯!」「乾杯!」と何度も繰り返す。
その内に「随意、随意」(全部飲み干さないけど了解して下さい)と言うが「乾杯!」「乾杯!」
とヤカンを飲み干す。
最後に冬瓜のスープと米飯で「我吃好了!」(ごちそうさま!)。
このころには呂律があやしくなり酔いが回り寒さも忘れる。
この酒の正体が写真。どういう手順でこうなるか無知だが米から作るとのことから日本酒と
同じなのだろう。
写真の料理と酒は蘇州市内の家庭料理のレストランのものだが工場で食べる料理はそれ以上に
美味しく感じるのはどういう訳か。(昼からお酒を飲みながらの食事だから??)
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| 新蘇州情報3―春節―120116 |
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今年の春節(旧正月)は1月23日から。
中国の人達にとって一年で最も嬉しい、楽しみな時期のようだ。
民族大移動はすでに始まっており、工場の労働者たちも出身地によってだろうかすでに
帰省した人もたくさんいるようだ。
上海のバスターミナルの帰省ラッシュ風景は日本でもお馴染だがここ蘇州の
北站、南站のバスターミナルも1週間でも通常の2~3倍の人で溢れている。
手に持ち切れないほどのお土産を持った出稼ぎ風の人達の荷物の重さは故郷を
思う気持ちと同じ重さなのだろう。
一説によると春節の時期、蘇州市内人口23万人の内60%が居なくなるそうだ。
訪れた工場でも20分位打ち上げ続ける色々な花火が山と積まれていた。
正月を迎える午前0時になると市内中で一斉に打ち上げられた花火が
360度の大パノラマで見ることが出来る。
街の広場も春節を迎える彩りが満開だ。
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新蘇州情報2―蘇州(Suzhou)―120107
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蘇州は古くから長江(揚子江)の南に位置する江南の主要都市として栄えてきた。
春秋時代に三国志の呉の都が置かれ、呉文化圏の中心であった。臥薪嘗胆、呉越同舟の舞台である。
古くから絹織物で発展した国家歴史文化名城(中華人民共和国の文化遺産保護制度により保護されて
いる都市)であり、長江デルタの中心部、太湖の東岸に位置する。東北側には、上海蟹の産地として
名高い陽澄湖がある。
年間平均気温15~17℃と温暖な土地柄で、約625万人(都市部235万人)の人々が暮らしている
中国を代表する歴史文化都市、観光都市である。
千年の古城、小郷の古い町並み、そして世界文化遺産に登録された古風な庭園を数多く有し、
「中国で最も美しいところは長江以南地域、その中で、もっとも美しいところが蘇州である」と
古くから称されている。
上海市に隣接する地の利があり、現在も省の経済的中心である。
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| 新蘇州情報1ー迎春ー120102 |
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蘇州情報1ー迎春ー120102
新年と共に改めて蘇州情報を再開します。
蘇州の人々と一緒に仕事をするようになって10年を過ぎた。
初めて訪れた時「21世紀は中国の時代になる」と感じ会食の席で現地の人達に
言ったことを思い出す。
中国の印象を日本人は色々と表現するが行ったこともない人のコメントに
「???」と思う。
今やこの10年で経済力は日本を追い抜くまでになり、まだまだ留まるところをしらない。
これらの過程では日本人には理解できないような事も見聞するかもしれないが
日本の歴史と切っても切れない近い国、4千年の歴史を有する神秘な国であることも間違いない。
中国に世界文化遺産は29、その内、蘇州古典園林と称される9つの庭園が世界文化遺産に
指定されている。
目覚ましい発展を遂げる街並みと共に歴史・ロマンに満ちた蘇州の情報をお届けします。
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| ニットプランの製品はこんな古城(まち)で作られています。 |
| 蘇州情報ー家庭料理の店ー111217 |
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拠点にしているマンションの近くの家庭料理の店に久しぶりに顔を出した。
多くの人で賑わっているこの店に初めて行ったのは一年(?)程前、開店して2日目だった。
待てども待てども注文した料理が出てこない。しびれを切らして何も食べないで出てしまった。
「この店には二度と来ない!」とLさんと言った店だがその後、前を通るたびに
多くの客が入っているのを目にしていた。
若い男女が活気ある応対をしている。
料理も美味しい。
初めて目にした「黄酒」を頼む。 独特の味、紹興酒に近いが甘みが強い。
「美味い!」ラベルを見るが初めて見る物。(写真)
料理も有名な物は無いが口に会う。
・鶏のから揚げ?
・豚肉の皮上げ?
・野菜炒め
・マーボ豆腐
・酢豚?

ご飯を頼むと大きなどんぶりで出てくる。
ビール、黄酒を飲んだ後でもどんぶりのご飯はすぐに空になった。
今回の出張中の夕食はこの後ずーとここですることになった。
開店時の失敗を糧にスタッフが一生懸命努力した結果が今日の繁盛だろう。
一人の若い男性が日本語で話しかけてきた。
「少し話をしていいですか?」
拙い日本語だが懸命に言葉を思い出しながら話しかけてくる。
こちらも拙い中国語で応じる。
大学でIT関連の勉強をしながら日本語も学んでおり、将来日本で働くことも
考えているとのこと。
「君たちは日本人ですね」を「君たちと言う言葉はあなた達の方が良い」と
伝えると「あっ!すいません」と一所懸命だ。
翌日からも我々見かけるとすぐに寄ってきて席に案内してくれた。
中国の若者は「謝謝!!」と言うと「不客気」「没謝」と必ず返してくれる。
非常に礼儀正しいと感じるのは小生くらいか。
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蘇州情報(225)ー蘇州版画院ー111210
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2度尋ねて見せてもらえなかった「蘇州桃花塢木刻年画博物館」を訪ねた。
改装してオープンすると聞いていた時期はとっくに過ぎているため期待して向かった。
通訳のLさんとタクシーに乗り込みで向かったが、道を間違え、混雑した道を無理やり
Uターンしたりし、やっとの思いで到着。
ところが今回もオープンしていないとの門衛さんのつれない返事。
「おかしいですね!前に来た時は半年後には見られるようになると言っていた。
一緒に来ている人は日本からわざわざ見に来ている。それもこちらを訪ねたのは
今回で6回目ですよ!」
門衛さんは事実と違う強引な交渉により携帯電話で話し始め、しばらくすると
「OKが出た、どうぞ」と入口を教えてくれた。
写真の入り口かと思いきや豪勢なお屋敷へと案内された。

そこで迎えてくれたのがQiao 蘭蓉さん。
蘇州版画院(蘇州桃花塢木刻年画博物館)年画工作室副主任の肩書を持つ美人さんだ。
そしてもう一人若い青年。版木に向かい細い線を刻んでいた。
残念ながら、豪勢なお屋敷の別棟と思われる室内を撮影する事はNOとのことでお屋敷の
写真しか撮れませんでしたが日本から来たとのことで二人共興味津々?
喜多川歌麿、葛飾北斎の名をあげ、日本の版画(浮世絵)の事を色々と聞かれた。
「6回も訪れて貰い恐縮ですが未だ新装博物館としてお^分するめどは立っていません。
関係方面に働きかけているのですが具体的になっていません。
私たちはこの伝統ある蘇州版画を絶やさないため、又少しでも広める為に、ここで
作業しています」とのこと。
「市内のお土産屋さん売っているのを見かけますが、伝統ある芸術品をお土産屋さんで
売るのは???」と問いかけると「本物はそれを証明する印をつけています」との返事。
『と言うことは偽物も出回っていると言うこと』・・・これは言いませんでしたが。
若い二人に「加油!加油!」と言って後にしました。
帰り道気がついたがすぐ近くに蘇州美術館が出来ていました。
この関係で博物館の新装がなされない?二人は何も言っていませんでしたが。
*蘇州版画院のホームページ:www.thwbwg.com
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| 蘇州情報(224)―師走の石路と山塘街―111202 |
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今週初に蘇州入り。明日帰国の為、本日掲載。
新暦で師走に入ったこの時期、クリスマスはあまり縁がないと思われる蘇州の街でも日本と同じ
ようなイルミネーションがきれいに輝いています。

先週は美味しくないお店の話でしたが今週はお馴染の料理です。
ある旅行会社のパンフレットによると日本からの観光客が蘇州に来て、必ずと言っていい程訪れる
店のようで、蘇州を代表する「百年老店、松鶴楼」の山塘街店。
「松鼠桂魚」(写真)は清の6代皇帝、乾隆帝がお忍びで突然、料理店に来た時に料理長が何の
準備のない中、とっさに作った料理だったが、乾隆帝はその美味しさに事のほか喜び、それ以降、
蘇州を代表する料理になったとか。

『古今の優れた書物を書き写し保存するという文化的大事業である『四庫全書』の編纂や、上記の
10回の外征も、こうした豊かな経済力を前提としていた。この時期には文化が大いに振興し、宮廷は
きらびやかに飾られ、乾隆帝自身も数多くの漢詩を作った。乾隆帝はまた中国の伝統的な文物を
こよなく愛し、現在も故宮博物院に残る多くのコレクション[3]を収集し、たびたび江南へ行幸した
(六巡南下)。これらの軍事的・文化的な成功により三世の春の最後である乾隆帝の治世は清の
絶頂期と称えられる』
<Wikipediaより抜粋>
蘇州にはこれ以外にも乾隆帝にまつわる料理は有るが、たびたび江南へ行幸した証なのだろう。
いつもの出張での食費を一回で使う位の高級料理だがその味覚はまさに
「老年百店」の物なのだろう。少し甘すぎる気もしないでもないが・・・。
(蘇州料理はすべてにおいて甘めだが)
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| 蘇州情報ー観前街で昼食ー111126 |
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観前街は以前に何回か紹介している蘇州で一番の繁華街。
百年老店の看板を掲げている金、麺、お菓子、漢方薬、蘇州料理の専門店等老舗の
店が立ち並ぶ。
通訳のLさんと待ち合わせしている間に見つけた料理店でお昼をたべることに。
「いつもの麺の店ではないですね」とLさん。
外のメニューを見ると蘇州料理だけでなく中国中の料理があるように思えるほど
たくさんの写真、人もたくさん入っている。
Lさんは入った事は無いという店に入る。
そこで食べたのが写真の料理

レバーの料理。???
骨付き豚肉の揚げ物。 骨ばかりでかたい。
ピーマンと?肉の炒め物。 ただ辛いだけ。
口直しに春巻を頼む。 店員が黙ってぽんと置いていく。何か足らない。
「醤油(ジャンユ)と辛子は無いの?」しばらくすると醤油(ジャンユ)を持ってきたが
無言で置いていく。
Lさん曰く「この店はもうすぐ潰れる」
百年老店が立ち並ぶ観前街にこんな店もあります。
勿論この店に『百年老店』の看板は有りません。
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| 蘇州情報(222)―耦園―111119 |
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蘇州の中心地から東方向の蘇州大学の北方に「耦園」はあった。
バスに一人で乗って降りるべき停留所を大幅に乗り越してしまい、引き返す道すがら
「耦園」の標識を目にし、「ああここに有ったのか」と懐かしく足を向けた。
この庭園は初めて息子を連れて蘇州を訪れた時に一緒に行ったところ。
その時の事を思い出しながら、庭園を散策静かなひと時でした。
最もその時の息子はお腹を壊し、ベットに寝ていた時間も多かった旅行でもあった。
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| 蘇州情報ーウイグル料理の絵画ー111112 |
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ウイグル料理店に久しぶりに入ったら壁に新しい絵が架かっていた。
店のマネージャーに聞いたところ
「誰が描いたのかは分からない、ウイグルから送られてきた絵です」とのこと。
ウイグルには行ったことは無いが通訳のLさんは子供のころウルムチで過ごした経験があり、
今もお姉さんが住んでいる。
食事時、Lさんに、「何を食べる?」と聞くと「ウイグル料理は良いですか?」と
お薦めだ。
絵ごころは全くない無い小生だが、見ることは好きで仕事の合間に時間を見つけては
美術館に足を運ぶ。
これらのウイグルの絵は中国・漢族の世界とは異次元の世界だが心が落ち着き
夢の世界に運んでくれるようにも思えるのだが。
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| 蘇州情報ー蘇州の夕日ー111029 |
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久しぶりに楓橋景区へ。

市内バスに直通のバスが無く近くのバス停まで10分程乗り、15分以上歩いて到着。
寒山寺に隣接した楓橋景区は日本人にもお馴染の張継の七言絶句「楓橋夜泊」で有名だ。

月落烏啼霜満天、 月(つき)落(お)ち烏(からす)啼(な)きて霜(しも)天(てん)に満(み)つ
江楓漁火対愁眠。 江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対(たい)す
姑蘇城外寒山寺、 姑蘇(こそ)城外(じょうがい)の寒山寺(かんざんじ)
夜半鐘聲到客船。夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到(いた)る
『この詩は都落ちした旅人が、蘇州西郊の楓江にかけられた楓橋の辺りで船中に泊まった際、
旅愁のために眠れぬまま寒山寺の鐘の音を聞いたという様子を詠ったものである。』Wikipediaより
たまたま訪れたのが夕刻であり、きれいな夕日を見ることが出来た。

「張継」がこの時期、この夕日を見たらどんな詩を読んだのだろうか。
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| 蘇州情報ー上海蟹とサラダー111022 |
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「私が調理する」と言っていたLさんが蟹2匹を持って来てくれた。
奥さんが見立てた太湖で採れた蟹とのこと。
日本人には太湖(琵琶湖の3.3倍の広さ(2250㎢))の蟹より陽澄湖(ようちょうこ)の蟹の方が
有名だがLさん曰く「太湖の方が美味しい」そうだ。
『太湖(たいこ、拼音: TàiHú )は、中華人民共和国の江蘇省南部と浙江省北部の境界にある
大きな湖である。その景観の美しさで知られ、中国政府の国家重点風景名勝区に指定されている。
太湖は長江デルタに位置する。大運河ともつながり、多くの中小の河川が流れ込み、またここから
蘇州を流れる蘇州河や上海を流れる黄浦江などの河川が発している。これら太湖周辺の水系すべて
最後は長江に流入する。湖周囲の都市は、北岸の無錫、西岸の宜興、
東岸の蘇州(いずれも江蘇省)、および南岸の湖州(浙江省)である』(Wikipediaより)
Lさん曰く
「部屋に鍋有るから自分で茹でて食べて」「茹でる時間は弱火で15分から20分」
というわけで話が違うが結局自分が茹でた蟹と中国ファミリーマートで買ったサラダ(写真)で

夕餉の一時。
勿論ビールと紹興酒を飲みながら。
「酢醤油などに付けるとせっかくの美味しさ解らない、付けないで」のLさんの言葉通り、
蟹の身はほのかに甘く、みそは濃厚な味、。
2匹の蟹は雌雄1匹ずつとの事だが、どちらがどちらか確認もせずしゃぶりつく。
人は蟹を食べる時、無口になるとはよく言われる事だが一人での夕餉はしゃべりようもない。
約30分で食べつくす。
中国の人たちは上海蟹を上手に食べる。食べ終わった後は砂山のように殻が残る、シャリシャリと
全てを食べつくす。
小生の食べた後はガラクタの山のようだ。年のせいか、歯に自信が無いためか
殻を噛み砕きしゃぶりつくすことは無理だった。
それでも旬の蟹が食べられて「上海蟹族」の仲間入りだ。
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蘇州情報ー蘇州の10月ー111016
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10月の蘇州は暑くもなく寒くもなく過ごしやすい季節だ。
街のあちこちにミカン、大きな瓜等の果物を山のように積んで売っているトラックが目に入る。
「10月の上海蟹族」を待ち望む「蟹」の看板も多い。
「旬の今だから蟹を食べよう」とレストランに誘ったらLさん曰く「レストランの蟹は高い、
市場で買って私が調理してあげる。」と。
確かに市場で買えば3分の1以下で食べられることは確かだが残念ながら未だ食べていない。
そんなわけで昼食べたのが写真の料理。
トウガラシと一緒に油で揚げた豚の内臓。

ピリリとトウガラシが効いて旨い。
ピーナツの油揚げ。

ほんのり甘く柔らかい。マスターにどのように調理するのか聞いてみた。
「ピーナツを一晩砂糖水に付け、乾かしてから弱火の油で揚げる」とのこと。
豚のあばら骨を油で揚げたもの。

骨が多くあまりおいしくない。
卵と野菜のミジン切りのスープ。

お酢が効いてさっぱり味で美味しい。
ご飯

中国ではご飯は大概、料理を食べつくしたころ頼み、スープをかけて食べることが多い。
ご飯がやや硬く日本のように美味しくない。
米のせいではなく、炊き方、炊きあがったご飯の保存の仕方のように思うのだが。
炊き方を見たことは無いが、炊きあがったご飯の保存には保温、保湿を心がけている
風は全く無く、お櫃などはもちろん無し、器に移しただけで置かれている。
これらの料理はマスターに聞いたところ。『常州料理』とのこと。
〆て上海蟹一匹をレストランで食べる値段とほとんど同じ!?
旨いの不味いのと文句を言えるような値段でないことは確かだ。
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| 蘇州情報ー観前街と玄妙観ー111008 |
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蘇州第一の繁華街「観前街」は門前町? 浅草の観音様を思わせる。
土曜、日曜ともなるとまっすぐにに歩くのもままならない位の人出である。
(写真ではそう見えないが有名なテーマパーク並み)
全長約800mの東西の通りには100年以上の歴史をもつ老舗が数多くあり日本でも有名な
「松鶴楼」の本店もここに有ります。
老舗だけでなく最新のデパート、映画館もこの周辺にあります。
ケンタッキーやマクドナルドもあり若者で溢れています。
その中心をなすのが「玄妙観」。
本殿の敷地外の両脇には浅草の仲見世を思わせるお店がぎっしりと並んで多くの
買い物客で賑わっている。
何度も訪れているが今回は入場料を払って本殿(三清殿)にお参りをした。
表通りの人混みがウソのような静けさだ。(写真)
ところで「玄妙観」とは?
Wikipediaを覗いてみた。
『玄妙観(江蘇省蘇州)‐三清殿が有名。江南第一の道観と呼ばれる。
道観の「道」は道教のという意味であるが、「観」は中国語でguānと読む「みる」の
意味ではなく、「館」(guǎn)の言い換えで作られた語で、guànという特殊な読みをする。
道観も、仏教の場合の仏寺と同様に、その別称が多い。道館・治館・玄壇・観舎・道院・
叢林・精舎・道場・靖治・治・廬など、或いは、観・庵・廟・宮・殿・閣・堂・洞・祠・
院などの名称も用いられる。それぞれ規模、機能、歴史的な用法などの違いがあるが、
現在では区別が曖昧となっている。
三清(さんせい)は、道教の最高神格のこと。「太元」を神格化した最高神元始天尊と、
「道」を神格化した霊宝天尊(太上道君)、老子を神格化した道徳天尊(太上老君)の三柱。
それぞれ道教における天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住し、この三天の
ことも「三清」と呼ぶ。道観(道教寺院)にはしばしば「三清殿」と称する三清を祀る
建物がある。』

道教の寺院であることは解ったが道教の事は全く解らない。
今回のお参りのごりやくが有ることを願うばかりである。
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| 蘇州情報(215)―永慶寺―111001 |
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張家港にの工場に行った時に郊外に見えるいつも気になる建造物がある。
今回の出張時、一時間の合間を見て思い切って連れて行ってもらった。
そこは永慶寺というお寺だった。
中国の旅行代理店(elong.com)に下記のような紹介文が載っていた。
永慶寺旅遊簡介
永慶寺位於張家港市鳳凰山,迄今已有1500餘年歷史,為南朝四百八十寺之一。
寺內建築有天王殿、彌勒殿、大雄寶殿、觀音殿、三聖殿、羅漢堂等殿堂和金仙塔院,
是佛教信眾朝聖參學的聖地。進山門後西側是一片櫻花樹,這是日本櫻花代表團
于1998年5月到該寺參訪時並種植的二十七棵櫻花,象徵著中日友好。
寺內外有勝跡數十處,以及人稱“三絕”的千年古檜、肉身菩薩和自然石井。
寺周圍風景秀美,成為歷代文人雅士騷人墨客的遊玩之地,並留下了詩詞數百篇。
『永慶寺は張家港鳳凰山にあり、1500年の歴史を有し中国南部の480寺の内の一つである。
寺には天王殿、彌勒殿、大雄寶殿、觀音殿、三聖殿、羅漢堂等殿堂和金仙塔院の建物が有る。
仏教の信者にとって巡礼、修行の聖地となっています。
進山門後の西側に桜の樹が有ります。
これは1998年5月日本の代表団が参拝に訪れた時に植樹した27本であり
中日友好のシンボルとなっております。
寺の内外には有名な歴史的に価値のある見るべきところがたくさんあります。
そして千年を超す古代ヒノキ、仏と自然な池等。寺院の周りの風景は美しく
古代文人はこの地で楽しみ、そしてたくさんの詩を残した。』

5元の入場料を払い中に入る。
思いのほか建物が新しく感じられる。
中国の寺院の仏像は金ぴかの物が多いがそのせいだけではなさそう。
1500年余の歴史はどうしても感じられない。
帰国後入場券の後ろの説明書きを見て納得。
近年火事で焼失市再建されたとある。
その時に尽力した人達似の中に蘇州寒山寺の高僧もいるとのこと。
工場の人が盛んに「蘇州の寒山寺と関係が有る」と言っていた意味も分かった。
日本との関わりと言えば
唐招提寺を建立した鑑真和上が日本に渡るときにこの寺に
お参りしたと入場券の裏に書かれている。
渡航に何度も失敗し5度目で日本に着いたがこの寺にお参りしたことによるものだろう。

日本の訪問団が植えた桜の木は残念ながら分からなかった。
桜の時期に行った時は又訪れることにしよう。
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蘇州情報(214)―蘇州园林博物館と奇石―110924
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以前(178回)市内にある博物館は14館(下記)+1(交通博物館)と紹介しました。
『蘇州博物館、中国昆曲博物館、蘇州評弾博物館、蘇州民族博物館、蘇州碑刻博物館、
蘇州シルク博物館、蘇州桃花塢木刻年画博物館、中国蘇綉芸術博物館、蘇州园林博物館、
蘇州革命博物館、蘇州佛教博物館、蘇州工芸美術博物館、蘇州中医葯博物館、
蘇州商会博物館』+交通博物館
今回、蘇州园林博物館を見てきた。
「拙政園」に入ると(入場料は70元=約900円)すぐ左側にあります。
入場料はかかりません。近代的な建物はちょっと意外だった。
その名の通り、蘇州の园林(庭園)数十軒の古典的な庭園の景色を見ることができ、
下記の4つの展示ホールに分かれている。
・「园原」蘇州の風物に関わる記録
・「园史」中国庭園の3000年余りの歴史
・「园趣」庭園の趣の違い
・「园治」造園の要素(築山・水・建築物・花木)と造園芸術(モチーフ・
校正・技法・境地)
蘇州に広がる庭園がどのように建設されたか、造園に使われた道具、建物の
構造等が良く分かる。
見学の途中、石の陳列に目が止まった。
「奇石」と呼ばれる類だろうが個人的には余り興味が無いが「なんでも鑑定団」に
出てくるような石もあり思わずカメラを向けた。(写真)
同じ石ならここには展示されていなかったが「硯石」の方が良い。
ここしばらく古い硯探しをしていないので今度行った時に“骨董市”へ行くことにしよう。
併せて“交通博物館”にも。
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蘇州情報(213)―夏の花―110917
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蘇州で良く目にするのは公園とそこで時を過ごす人たち。
朝にはそこで太極拳をやっている人を見かけ、昼はトランプ、将棋、マージャン等を
時間が経つのを気にする風もなく木陰を選びながらのんびりと楽しんでいる老人たち。
出張床屋(?)さんに頭を刈って貰っている人も良く見かける。
(野田首相も利用しているという10分、1,000円の床屋を思い出す)
夜は音楽をかけ輪になって日本の盆踊りと同じように踊っているグループも良く見かける。
夏の蘇州に咲く花々はそんな公園や庭園にひっそりと咲いていた。
さるすべり、石榴、ハス、その他、名前は分かりませんが質素な感じ、日本で見かける
カンナのような派手な花は少ないように思うのだが。

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| 蘇州情報 ― 青空―110910 |
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今日本では異常気象で自然災害が各地で発生している。
蘇州でもめったに見られないものを見た。これも異常気象の影響か??
日本では当たり前の青空が蘇州ではめったに見ることが出来ない。
この地は長江(揚子江)の近くで江南の水郷地帯、東洋のベニスと言われる
水に恵まれた地域の為か(工業地帯のスモッグとは違うようだが)常に曇っている。
蒸し暑い日の午後突然涼しい風が吹き抜けさわやかさを感じ、空を見上げて見たらその
青空が突如現れた。
思わずカメラに収めた次第である。
8月の蘇州市内には果物を商うトラック、屋台があちこちに見られる。
それらの屋台で果物を買う気にはならないが思い切って買ったことが有る。
少し歩いた別の屋台で同じものの値段を聞くと先程の店より安い。「???」
通訳のLさんに「どうして同じものが違う」と聞くと「???」
どうやら最初の店では小生が拙い中国語で値段を聞いた。
今度の店では通訳のLさんが値段を聞いた。
外国人(日本人)とみて値段を高く言ったようだ。
あきれるやら、感心するやら、思わず笑い出したものである。
買い物言えばこんなこともあった。
Lさんのお父上と骨董市に行ったときの事。
木彫りの仏像を見つけ、たいそう気に入り、値引き交渉も成立意気揚々と歩き出した。
その先に全く同じ仏像が売られていた。何と値引き交渉して買った値段より
さらに安く売られていた。
Lさんのお父上は早速に仏像を買い求めた店に引き返し「同じものが別の店で安く
売られていた!どういうことか!お金を返せ!!」と大声でクレームを付け返金する
よう交渉を続けた。 その間5~10分。
結果はLさんのお父上の負け。
「あなたは私の店の仏像を買った。他の店で同じものが有るのかどうか、値段が違うかどうか
私は知らない。あなたは手に持っているその仏像を買ったのです」
この意見が正しいかどうか、首をひねるところであるが、外国人だけでなく
同じようなとこが有るのです。
買い物をするときの注意事項。
・その場で包装されている物は遠慮なく空けて良く見る。
・スイッチ類は必ず入れて確認する。
・他の店と比較する。
等、上品ぶっていては後で後悔します。
こんな城市(街)だけど「大喜欢!苏州」
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| 蘇州情報ー桃ー110903 |
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新築なった蘇州北站(蘇州の北バスターミナル)(写真)から約1時間北北西に走ると
張家港市に入る。
張家港市は、過去に「国家衛生都市」、「全国環境保護模範都市」、「全国文化先進県(市)」、
「全国計画出産優質服務示範都市」、「全国双擁模範都市」を獲得し、市内にある全ての鎮は全て
「国家衛生鎮」となっている。(wikipediaより)
確かにバスの停留所の看板、椅子等もホコリを被ってない。人が管理している様子が窺える。
町全体もきれいな街並みである。
この街の郊外の工場にバスで行く。20分ほど走ると100m位両脇に並んだ露店が見えた。
(写真)

鳳凰鎮は桃が有名でこの時期の風物詩である。
工場に行った時に早速薦められ、皮の剥き方も教えてもらい2個もごちそうになった。(写真)
見た目より、その味は甘み抑えめ(?)で何個でも食べられそうだった。
もっと欲しそうな顔をしていたかどうか帰りには1箱9個入りを3箱も「日本に持って帰れ」と
お土産に持たされた。
帰りのバスで良く見ると桃畑がたくさんあった。
桃と言えば田舎の生家の庭先に小さな桃の木があり春になると紅い花が咲き乱れたのを
思い出す。
満開の花の見事さに比べるとその実はさほど大きくならず触感はガリガリとしていた。
(熟する前に食べたから??)
張家港では桃ばかりが目に付いたが8月の蘇州には他にもたくさんの果物が露店で売られている。
田舎育ちの小生は都会に出た時に桃をはじめ、スモモ、イチジク、石榴、ブドウ、栗、柿等の
果物をお金出して買って食べるのが信じられなかったし野菜サラダが食事に出てくると田舎で
飼っていたウサギを思い出し、「うわーウサギの餌だ」と思ったものだ。
あれからうん十年。年月が経つのは早い。
こんな思いを起こしてくれた桃だった。
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| 蘇州情報ー蘇州から浦東までー110828 |
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今回の出張の帰りも鉄道で帰ることにした。
蘇州駅から新幹線で虹橋迄、虹橋から地下鉄で浦東空港に(途中リニアモーターカーにも乗る)。
まだ改修建築途中の蘇州駅。
近代的な建物もまだ北半分だけ(写真)、南側はまだ工事中。完成するとどんな形を見せるか
想像もつかない。広大な駅になることだけは想像できる。
新幹線に乗り込む。、陽澄湖、昆山そして上海、35分で到着。
(同じ区間なのに今回は40元、9元高い、値段が違うのはなぜか???)
地下鉄2号線に乗り換え浦東空港に向かう。(写真)
上海の中心を通過する時は朝のラッシュアワー時間で日本と同じ混雑だ。
全て地下鉄を利用すると浦東へ約90分掛かるようだが今回途中駅で乗り換え
リニアモーターカーに乗ることにした。(この間の料金は16元?)
リニアモーターカーの乗り場は地下鉄の駅を出て隣接している。
思いの他人は少ない。(写真)欧米人、日本人も多く見かける。
最高スピード時速430kmを経験した。
定刻になるとグイと浮上しグングンスピードを上げる、まるで飛行機が離陸する時と同じだ。
スピード計の430Kmをカメラに収めようとするがピントが合わない。
(写真)
430kmでの走行は数秒間?で徐々にスピードを落として行く。
7分40秒はあっという間に終わってしまった。
地下鉄なら約30分かかる所を7分40秒。チケット料金は50元。
飛行機のチケットを見せると40元になるそうだが(電子チケットは駄目だそうだ??)
この価格が高いか、安いか。
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蘇州情報ー蘇州大学と「北国の春」ー110820
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過ってあるシルク工場の忘年会に招待され出席した。
その時、舞台に上がり片言の中国語での挨拶と日本語で「北国の春」を歌った。
その時に飛び入りで舞台に上がり、一緒に「北国の春」を日本語と中国語で歌ったのが蘇州大学の
T教授であった。
T教授は日本の信州大学に留学経験もあるシルクの権威者である。
その時の事を思い出し、お会いしたいと突然に電話したにも拘らず快く応じてくれた。
早速に駆けつけた場所は蘇州市内にあるにもかかわらず広大な敷地の中にあり、静かなたたずまいの中、研究棟等が立ち並ぶ。
「夏休み中だから人もいなくて、おもてなし出来ないよ」と気さくにお茶を入れてくれた。
一時間程、シルク談義に花を咲かせ、最後にシルク操糸工場を探していると話をしたところ、その場で
湖州の工場に電話をし翌日のアポを取ってくれた。
今回の出張の目的の一つがシルク操糸工場を探す事であったのでこんなにも早く、具体的になろうとは
思いがけないものであった。
「(北国の春)が取り持ってくれたのだ」と帰りの道すがら想った事であった。
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蘇州情報ー虹橋から蘇州へー110813 |
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10日から蘇州に来ています。
今回は虹橋から蘇州まで地下鉄と新幹線で移動。
羽田からの便は虹橋の第二ターミナルへ着陸。入国審査、荷物を受け取り、周りをキョロキョロ。
地下鉄乗り場を探す、「地下鉄は?新幹線は?」近くの人に聞くと親切に教えてくれた。
切符の自動販売機を見ると10路線ある。どれに乗ればいいのか??
駅員に聞く。外国人と思われたようで英語版に切り替えてくれた。
「我想去蘇州(蘇州に行きたいのですが)・・」と言うと「2つ目だよと」教えてくれた。
地下鉄を降り新幹線乗り場を探す。
何ヶ所か間違えたが切符売場へ到着。自動販売機が並んでいる。早速英語版に切り替えて操作する。
途中で動作が止まる。画面に身分証明書を触れるよう指示が出る。
しばし考えてパスポートを触れて見る。進まない。時間オーバーで初期画面に戻ってしまう。
どうやら外国人には自動販売機では売らないようだ。
仕方なく販売員のいる窓口を探しやっと買う。
乗車口はどこか探しながら待合室へ。広いことにややビックリ。
先日の事故が有った路線と同じ乗り場だ。
出発時間が近くなったので改札口近くへ行くと8分遅れるとティロップが流れている。
(やっぱり問題は起きているなと密かに思う)
五分前になると入場開始。本当に8分遅れで到着。乗客が降りて社内清掃があるともっと遅れるなと
思いきや入れ替わりに乗車開始、そのまま発車し昆山、陽澄湖、そして蘇州と約30分の新幹線の
旅は無事到着。
新幹線騒動から離れて本物の話に移行するつもりが又新幹線の話になってしまったが本当の話。
値段は31元。バスより安い。
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| 蘇州情報ー本物ー110806 |

先週まで横道に外れてしまった、本来の道に戻ろう。
中国にある世界文化遺産は21。
その内の9つが蘇州にある。
すでに全部に足を運んだが断片的にしか見ていない気がする。
改めて本物を一つずつじっくり見て回ろうと思う。
本物と言えば日本のTV番組はひどすぎると思うがどうだろうか。
どこのチャンネルを回しても同じようなお笑い系の人ばかりが出ており、自分たちだけが勝手に
楽しんでいるようにしか見えないが。
そんな中、前にもここに紹介したがBS朝日は比較的良い番組が多いように思う。
中でも「中国神秘紀行」。
今は月、火の早朝に放送されているため、録画を休日に見ている。
この番組のエンディング曲を歌っているのが艾爾肯 ARKEN (エールケン)。
エンディング曲「無可奈可」。
旅愁溢れるメロディーでイントロが始まると良い曲が聞け
る!と思うと共に番組が終わってしまう!という複雑な瞬間
を迎える
彼が歌う詩を誰が翻訳したのか知らないがこの歌の意味を思うより実際に番組を見て、この曲を聴く
ことをお薦めする。
間違いない本物と思うのだが。
以下にBS朝日のHPから。
ウイグル 魂の歌を求めて
~新彊(しんきょう)ウイグル自治区/カシュガル~
今回は、中国の西の果て砂漠地帯の広がる新彊ウイグル自治区の旅、後編。
新彊の旅では、前編に引き続きのエンディングテーマ曲を歌っているエールケン(1978年生)が
旅人として登場します。もちろん彼の故郷は、新彊ウイグルです。エールケンは現在、
北京と新彊を行き来しながら音楽活動を続け、中国ではウイグル族の特徴を活かしたエキゾチックな
歌手として人気を博しています。
【無可奈何】
そよ風のように
あなたは私の人生に現れた
あなたの目の素敵な輝きは
私の心の悲しみを吹き飛ばした
あなたは言った
「あなたは本当に愛を欲している」と
私はあなたにもっと近づきたいのに
私にはその術が見当たらない
(写真は8月に蘇州で食べた料理)
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蘇州情報―中国新幹線と特許―110730 |
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7月20日の朝日新聞。
『中国版新幹線アニメもそっくり』
中国で今秋にも放送される高速鉄道を主役とするアニメ「高鉄侠」が新幹線が主役の
日本のアニメ「超特急ヒカリアン」に酷似しているとして、中国で盗用を疑う声が
広がっている。・・・・・
双方の作品を並べた6分ほどの映像がインターネット上に出回り、騒ぎになった。・・・
ネットへの書き込みは「中国の盗作アニメの氷山の一角」「恥知らず」などと
批判する意見がほとんど。
この記事が出て4日後、新聞の朝刊を見てビックリ!!
『中国版新幹線 脱線』『「中国独自の技術」暗転』『衝突「雷のような音」』
何!!・・・ヤッパリ!!と思わず声に出してしまった。
その後連日、報道され世界中の・・・・・・・・・・・。
蘇州市内の一等地の一角に悪びれる様子もなく堂々とオープンしているお店が有る。
中に入るとブランド品が所狭しと並んでいる。
バック、カバン、財布、ベルト、細い階段を上がると衣料品、さらに上がると
部屋いっぱいに時計がずらり。
一階は地元の人、観光客でいつも混雑しており、店員が片言の日本語で話しかけてくる
所を見ると日本人も多いのだろう。
物まねから独自技術へ進化させることは理解できても、外観だけをまねて本物として
売るビジネスが発展するはずがない。
この店のオーナーなのか若い男性は「上の階に行けば本物もあるよ。
上がって見て」????
本物として売っているつもりはないようだ。
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蘇州情報ーオーダーニットの工場ー110723
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再度見直しましたが???

オーダーニットの工場は今が端境期で連休をとっているところも。
今AWのデザイン決めとサンプル作り、写真取りをしてサンプル帳作りへと
忙しくなる前に一休みといったところでしょうか。
当社でも新しいデザインを準備中です。

7月12日PM10:00 NHK「下流の宴」を見ました。
主演の黒木瞳さんが間違いなく当社の製品を身につけていました。(写真)
2枚のはずがもう一枚が確認できません。
もう一度ビデをを見てみます。

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蘇州情報ースタイリストー110709
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以前にもUPしてお知らせ済ですが
黒木 瞳 主演のNHKドラマ「下流の宴」に当社のオーダーニットが登場します。
スタイリストの方から連絡あり写真の2着とも7月12日の放送分で着ているとのこと。
どのような場面でどのように着こなされているのか???
もちろんのこと、同じデザインのカシミヤニットがあなたのサイズでお作りすることは
OKです。
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| 蘇州情報ー新幹線ー110702 |
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蘇州の地元新聞(6月14日)(写真)に北京~上海間の新幹線6月末開通の特別報道がされた。
1,318Kmの距離を4時間48分で結ぶ。
最新列車(CRH380)は試験運転では時速486Kmを記録。世界最高速の380Kmで開業準備を進めて
きたが営業運転の最高速度は300Kmで運行することになった。
乗車券は最低で410元(約5300円)、最高1,750元(約22,600円)
日本でも6月17日(朝日新聞)に報道された。
6月末のタイミングは中国共産党の創立90周年に合わせたもの。
後日(7月1日朝日新聞)「高速鉄道 波乱乗せ発車」の見出しで
『(中国と日欧特許紛争の可能性)
最新列車(CRH380)は川崎重工業をはじめとする日本勢やシーメンスを中心とするドイツ勢の技術を
元に開発された。
中国側は「(技術を)消化し、独自に発展させた完全に中国のもの(鉄道省)」として、中国企業が
日米欧、ロシア、ブラジルの5カ国・地域で特許取得の手続きに入った』とのこと。
JR東海の社長は「中国は自分の技術だと言うが、我々は国内メーカーと旧国鉄技術陣の汗と涙の
結晶だと思っている」と主張している。
何かと日本人には腑に落ちない中国の言動だが色々な技術で日本を猛追しているのも事実、今の中国
の勢いの表れなのだろう。
ただ新聞にも報道されているが
『国民向けに「世界一」を強調する中国政府だが、冷静な見方も多い。
ある高官は「ハードでは先進国に追いついてきた。だが、切符の販売システムや運行管理、
駅の活用などでは日本に学ぶべきものは多い」』とコメントする人もいるのだ。
切符売り場や列車に乗り込む時、隙あらば割り込んで他人より先にが当たり前の中国の人も、
新幹線に乗り込む時、乗った後の車内の静かな様子はとても中国とは思えないほど行儀が良いの
だが????(蘇州から上海まで乗った時の感想)
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| 蘇州情報ー余震ー110416 |
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今日も昼前に大きな地震があった。
気象庁の会見では「3月11日の本震の余震域から外れており、余震とは見ていない」と説明、
別の地震が誘発されたか、単独で発生したとの見解だった。
これをどう思えば良いのか複雑な気持ちである。
余震が起きるたびに「ぞっ」とするが別の地震が東海沖に近付きながら発生していることは
さらに・・・!?。
先日の新聞に
『・自然現象(地震)に対しいくら予知の可能性を求めても完全はあり得ない。
・過去のデータに基づきハード面で備えても完璧はあり得ない。
予知から地震が来るまでは短い時間であるし、過去に30数メートルの津波があったと言って
それより高い防波堤を築いてもそれより高い津波が来ないとは言い切れない。
しかし、地震が発生したら津波の来ない所に避難する等ソフト面での対応は可能である。』と。
「地震が起きることに神経質になっても仕方ない」
「地震が起きた時にどうするかの準備をしておく」に尽きるのだろう。
蘇州には地震が無いと言われているが拠点にしている蘇州のマンションの25階の部屋の壁に亀裂が
走っているのはどう理解したらいいのだろう。
(写真は蘇州の工房での作品、すべて手刺繍です)
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| 蘇州情報―お花見ー110409 |
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桜が満開である。
気のせいかもしれないが今年の桜は例年と少し違って見える。
東日本大震災で罹災された多くの人達が避難生活を余儀なくされている中、花見どころでは
ないと花見気分になってはいけないとの思いが心のどこかにあるのかも知れない。
しかしながら、四季は必ず巡っており今年の桜は今でしか見られない事も事実である。
東北の3大祭りを是非やりたいと声が上がったとの報道を聞き思わず嬉しい気持ちになった。
こんな時だからこそ、明るく元気に例年以上の盛り上がりでやってほしいものだ。
蘇州で桜の木を見たことが無い、日本のお花見のような風習があるのかどうかわからないが
経験はない。ただ写真のような鉢植えの草花をたくさん並べ観光客を楽しませている光景は
あちこちで見かける。
蘇州を訪れるにはこれからが最高の季節である。
(写真は近所の桜と蘇州郊外の虎丘山の3月に咲く花々)
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| 蘇州情報ー北国の春ー110402 |
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(http://www.jade.dti.ne.jp/~miyoshir/index.htmlより)
先日テレビのBS放送で「北国の春」を見た。
作曲家・遠藤実、作詞家・いではく、千昌夫の歌で、日本レコード大賞・ロング・セラー賞も
取った、すっかりおなじみの曲である。
以前の職場で遠藤実、いではく両先生にお会いしたこともあり、懐かしくTVを見た。
番組の中のいではく氏はすっかり貫禄が出てお会いしたのがずいぶん前であることを知らされた。
この曲は日本だけでなく、世界各国で歌われている。
以前、両先生が出席して開催された様子を別のTV番組で観たことがあるが
モンゴルではこの曲だけののど自慢大会が毎年大草原で開催されているそうである。
台湾のテレサ・テンのカバー曲も有名だが中国でも殆どの人が知っている。
蘇州郊外にある工場の忘年会(新年会も兼ねている?)に招待された時の事を思い出す。
幹部だけが出席する忘年会とのことであったが出席者は二百人以上で舞台では歌や踊りが披露され、
外では爆竹が打ち鳴らされる。
進行するうちに「お前も何かやれ」と舞台に上げられた。
その時、片言の中国語で挨拶と共に「北国の春」を歌うことにした。
勿論日本語で歌ったのであるが、カラオケの曲がかかると「俺も歌う」、「私は日本に行った
ことがある」、「この曲は良く知っている」と数人が舞台に駆け上がってきた。
終いには日本語と中国語の合唱で盛り上がった。
東日本大震災の発生から3週間を過ぎた今も大変な状態が続いており罹災された人達の事を思うと
言葉もない。
近所の公園では白いコブシの花が満開である
北国にも春が来る。春の訪れとともに早く復興することを願うばかりである。
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| 蘇州情報ー地震Ⅱー110329 |
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『絹(きぬ、英: silk)は、蚕の繭からとった動物繊維である。独特の光沢を持ち、古来より珍重
されてきた。蚕が体内で作り出すたんぱく質・フィブロインを主成分とするが、1個の繭から約800
~1,200mとれるため、天然繊維の中では唯一の長繊維(フィラメント糸)である。
蚕の繭(まゆ)を製糸し、引き出した極細の繭糸を数本揃えて繰糸の状態にしたままの絹糸を生糸(きいと)と
いうが、これに対して生糸をアルカリ性の薬品(石鹸・灰汁・曹達など)で精練してセリシンという膠質成分を取り除き、
光沢や柔軟さを富ませた絹糸を練糸(ねりいと)と呼ぶ。
ただし、100%セリシンを取り除いたものは数%セリシンを残したものに比べ、光沢は著しく劣る。
前者は化学染料、後者はいわゆる草木染めに向くが、歴史的に前者の手法が用いられはじめたのは
明治維新以降であり、昔の文献や製品にあたる際、現在の絹織物とは別物に近い外観と性質をもつこと
に注意が必要である。
また、養殖して作る家蚕絹と野性の繭を使う野蚕絹に分けられる。』
(Wikipedeaより)
明治以降、日本が近代化を進めるうえで外貨を稼ぐ日本を代表する重要な基幹産業であった養蚕、
製糸産業も今や当時と比較すると趣味の世界でしかなくなってしまった
そして世界のシルク(生糸)の約80%を生産するのが中国、そして蘇州のある江蘇省と浙江省で
半分以上を生産している。
すぐにでもそのシルク工場に行かねばならないのだが。
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| 蘇州情報ー地震Ⅱー110319 |
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(写真は蘇州郊外の霊巌山景勝区にて)
今週末蘇州に行くべく飛行機のチケットを手配しようとしたが全ての便が満席、キャンセル待ちも
無理とのこと。
今回の地震、原子力発電所事故の発生から避難、帰国する中国人の人達で満席とのことである。
その旨、中国関係者にメールを入れると「事情は解った。無理をしないで。全員無事で何より。
こちらで出来ることがあるなら何でも遠慮なく。」との返信が次々に来た。
中国でも連日報道されているようで関心を持って見守ってくれている。
有り難いことである。
この一週間は、常に余震、原子力発電所事故対策、計画停電、交通情報、為替に気を取られ仕事も
手に付かずの状態であった。
身の回りでも、家ではスーパー、コンビニで米が買えない、パンも買えない、職場でもコンビニの
棚からパン類、麺類が殆ど消えている。ガソリンスタンドには車が連なっている。
余震がまだ続いていること、原発事故対策の見通しが立っていないこと、等を考えると買い溜めに
走る気持は解らないでもないが、災害現地には救援物資が思うように届いていない寒さの中、必需品
にも事欠く中、懸命に頑張っている被災した人達の事を考えれば冷静に対処をしなければならない。
中国の人達は
日本列島創造以来最大の天災の中、被災者の人々が協力して整斉粛々と頑張っている様子。
中国から研修生としてやってきた若者達をいち早く非難させ今もって行方不明の方がいること。
その研修生達が現地の人たちに見送られながら「日本人は中国人も同等に扱ってくれた」と感謝の
言葉を涙ながらに述べつつ帰国の途に就いたこと。
等を報道で知っている。
「日本人とは・・・・・!!??」 改めて中国の人達も思いめぐらしているのではないか。
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| 蘇州情報ー地震ー110311 |
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今回の地震、都心の5階建てマンションの2階の事務所で遭遇する。
すぐ収まるだろうと思いきやますます激しくなる。
早々にマンションから避難する!?
机の下に潜り込むか!
太い柱のもとにいて様子を見ろ!?
いざというときは外に飛び降りる!?
(2階とはいえ、間違いなく骨折する!?)
等々、窓を開け、思案に暮れた数分間の時間は数十分に感じた。
隣のマンションの木々は激しく揺れ、店舗に飾りつけたシルク製品は床に無残に散らかった。
電話は繋がらず、パソコンとラジオで情報を取りながらこれを書いている。
「東北地方太平洋沖地震」と名付けられた今回の地震はマグニチュード8.8。
明治時代に始められた観測の史上最大。いや日本列島過去最大の地震とのこと。
余震もまだ続いておりそのたびに恐怖感でぞっとする。
今日帰れるかどうか?????
蘇州では25階建てのマンションに寝泊まりしているがその時に今回と同じような地震に遭遇したらと思うと・・・・・。
今まで蘇州に行った時に地震にあった事は一度もない。
現地の人に聞いても地震にあった事は無いと言うが、なぜか新築のマンションに住み始めた25階の部屋は壁に亀裂が入っている。?????
(写真は蘇州郊外の霊巌山景勝区にて)
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蘇州情報―孫子の兵法生誕の地の思い出(3)―110305
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鬱蒼とした木々の中に現れる建物群(写真)、孫武像(写真)、孫子の兵法全文の石刻(日本語文
のもある)、毛澤東書の石碑(写真)、孫武が隠棲した草庵(写真)は筧で引く水音が聞こえる。
小屋に入ると魏、蜀、呉、三国が表された地図が張られ、兵法を記した書記台(写真)と寝台、囲炉裏
と食器、すべてが質素そのものの世界であった。
最近「孫子の兵法」を読み返した。
孫子の兵法の各篇には名前が付いており
それぞれ第1篇から13編、「始計篇」「作戦篇」「謀攻篇」「軍形篇」「勢篇」「虚実篇」「軍争篇」
「九変篇」「行軍篇」「地形篇」「九地変」「火攻篇」「用間篇」だ。
戦場、戦況における考え方、対処の仕方が事細かく説かれている。
所どころに知っている言葉が出てくるので何とか読み終えたが、正直なところ漢文の読み方からして
なかなか難しい。
だがこの兵法を書いた「孫武苑」の事を思い出しながらの時間はまた楽しく、漢文と日本文、そして
解説文と全部読んだ。
「孫武苑」を訪ねたこの日は、孫子の世界を存分に堪能出来たが、水も弁当も口にすることなく、
向う脛の痛みに耐えながら氷点下の寒さの中3時間余り山道を歩き遂げたことは少し体力に自信が
持てた日になった。
45元の入園料は決して高くなかった。ちなみに孫武苑に地元の人は車で行くことが多いそうである。
(駐車場2か所あり)
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| 蘇州情報―孫子の兵法生誕の地の思い出(2)―110225 |

孫武苑方面との標識を確認して3方向の1つを歩き始め20分ほど歩いて到着したそこは孫武の「孫子の兵法」
を大いに活用しているであろう中国人民解放軍国防教育基地だったのだ。
今では笑い話となるがその時は周りにいる人は通訳のLさんだけ。
自動小銃で射殺されても誰も知る由もなく闇に葬る去られておしまいだ。と真剣に思い、必死で来た道を取って返したものだ。
犬に追いかけられることもなく先ほどの道路標識まで戻り別の道を歩き始める。道はきれいに舗装されているが両側は低木が生茂り珍しい実を付けた木も見かける。
小鳥の声も聞こえる、姿も見かける。道を下ること20分程でやっと辿り着く。そこからさらに階段が設けられた急な坂道を降りる。
途中苑内を管理すると思われる2人以外観光客は全く見かけない、声をかけると「温かい時期はたくさんの人が来る、今日はゆっくり見られるよ」と
写真は目的地までのスナップ(穹?寺、寧邦寺、露天書道芸術館と称されている小王山の断崖彫刻)
「孫武苑」の様子は次号で
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蘇州情報ー孫子の兵法生誕の地の思い出ー110219
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まだまだ寒い日が続いている。こんな寒い日に外を歩いていると蘇州郊外の「孫子の兵法生誕地」でのことを思い出す。
蘇州市内からバスで40~50分西方向穹?山にそこはある。
『穹?山は高くてまっすぐに聳えており、樹林も稠密で、山間には蘇州地域唯一の天然自生森林が有り、クスノキなどの貴重な樹木が217種、薬用植物が151種ある。省クラスの自然保護区と東呉国家森林公園である。
穹?山は文化的名山で、伝えられるところによると中国の大軍事家孫武の「孫子の兵法」はここに隠遁して書いたもので、現在、孫武苑として保留されている。
同時にまた蘇州地域の最も古い穹?寺、寧邦寺、江南の道教センターとしての上真観、露天書道芸術館と称されている小王山の断崖彫刻と中国の人民解放軍国防教育基地などの景観が有る』(蘇州市観光局観光ガイドブックより)
その日は大晦日の前日、シベリヤ寒波到来の初日、氷点下の中45元の入園料を払い、孫武苑まで40分位との受付の人に確認登り始める。通訳のRさんと2人以外の人影はこの施設の関係者以外は見かけない、これなら思う存分、孫子の世界が堪能できると。
穹?寺、寧邦寺、江南の道教センターとしての上真観は工事中で、外観のみ遠くから眺めるだけであったが断崖彫刻らしきものはいくつか見ることができた。この山には乾隆帝も何度か訪れており遠く太湖を望む場所にその書跡を見ることができる
20分、30分、そして40分歩く、ここが孫武苑?やっと着いた!と思いきや””獰猛な犬の鳴き声””思わず後ずさり。
この続きは次号で。
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蘇州情報ー春節明けてー110212
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(寒山寺に隣接する楓橋景区にて)
春節休みも終わり、今週中頃から蘇州の工場も動き始めました。
「工員は全員戻ってきましたか?」「事務所は始まったが工員は来週からです。」
返事は心なしか心配そうな声でした。
日本では考えられないことですが中国の工場では春節明けに工員全員が戻ってくる事のほうが珍しいようです。
久しぶりに故郷に帰った工員たちは友人、知人と情報交換をし、条件の良い工場に無断で代わってしまうのです。
そこは工場側も承知の上で何人が帰らないかもしれないと手を打つことが当たり前のようですが。
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| 蘇州情報(15)ー春節2ー110205 |

(写真は寒山寺に隣接する楓橋景区)
今中国は春節(旧正月)の真っ最中である。2月2日が大晦日、3日が元旦、早い工場でも8日、遅い工場では12日頃まで休みです。
この春節(旧正月)は、中国の民族大移動があり、蘇州市内では人口が60%になると地元の人は言っています。
またこの間、工場経営者にとっては気が気でない期間と言われています。何故かと言うと、春節明けに
従業員が全員帰ってくる保証が無い為です。
従業員たちは帰ったそれぞれの地で、活発に情報交換を行い条件の良い職場に移ってしまうからです。
ここもとの中国製品の値上がりの要因は人民元の為替相場だけでなく、これらの人件費の上昇が大きな
要因であることは間違いない所かもしれません。
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蘇州情報(14)-春節-110129
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『春節は中国人の最も盛大な祝日であるが、冬至は蘇州人の1年のうちで最も盛大な日であるといえよう。「冬至は新年のごとし」のように、蘇州民間で冬至に対する重視度は農歴の旧正月に劣らない。
聞くところによると、周の時の暦法で冬至は年始の元旦で、蘇州はむかしは呉国の地に属し、それに呉国の祖先の太伯、仲擁(てへんなし)は周王の後裔であるから、周の暦法を持ってきた。
蘇州人はこの古い風習を依然として重視しており、毎年の祝い行事は冬至節(西暦12月22日)の前日の夜から始まり、この一夜を冬至夜都と呼ぶ。家族全員は一緒になって冬至の夕食を食べ、冬醸酒を飲む。
蘇州人は冬至節の前に自己食用あるいは親友への贈り物として、粉団子を作り、砂糖、肉、野菜、アズキ餡、ダイコン切などをあんとし、「冬至大団」と呼ばれる。』(蘇州市観光局観光ガイドより)
残念ながら上記の冬至節を味わったことはないが中国では日本の年末と雰囲気がだいぶ違う、新年の迎え方も違う。工場も家庭も大晦日と元旦を祝う程度で日本の師走の慌ただしさは感じられない。
その分春節を大いに楽しみにしてこの時期を過ごすようである。旧正月料理も今から準備に入っているようである。
今年の春節は2月3日。恒例の民族大移動がすでにはじまっている頃である。
写真は郊外で見かけた食材。どんな料理になるのかな?
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| 蘇州情報(13)-蘇州料理-110122 |
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蘇州はグルメ天国である。簡単なのであるが回答しにくい問題、蘇州の最も美味しい料理は
何か? きっと意見がまちまちで一つにまとめる事は出来ない、
その原因は、蘇州グルメの品種が非常に多い為である。
煮込んでから冷ました料理、麺類、菓子類、砂糖菓子、砂糖漬けの果物等、煙と火の息吹が
美学芸術のようにご馳走を作り出す。
蘇州料理は一般に「甘い」と言われるが実はそうでない。蘇州料理の特色は全体的に薄味で
あること、揚州を中心とする准揚料理と比べればやや甘いが脂っこくなく、季節的、且つ新鮮
である(蘇州市観光局観光ガイドより)
何年か前、日本中に中国製の農薬入り餃子事件の報道がなされ、中国製の食品に対する
イメージは悪くなるばかり。
東海大学の葉千栄教授が「中国の工場、設備等の組織の問題ではなく、人為的な個人(グループ)
によるものと思える」とTVでコメントしていましたが同感です。
中国製は全て信用できないといった先入観を持った人たちに蘇州料理の良さを是非味わって欲しい
と思います。
写真は春節に食べる食材等と、大きなテーブルを囲み、皆でわいわい楽しく食事をしている様子で
すが、料理は残り物しか写っていなくて申し訳ありません。
この時スッポンの甲羅を食べさせられました、硬くて食べられないと思いながら恐る恐る口に入れ
たらゼリー状で、コラーゲンの塊だとか・・・、女性にはお奨めです。
食は広州に有りと言われますが、食は蘇州にも有りです。
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蘇州情報(12)-年末の寒山寺-110115
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仏陀の経典には、人は災いと福が共に付、栄枯盛衰が絶えず変わり、1年中108種の悩みが
有ると書かれる。このような悩みから逃れるには、鐘をつかねばならず、1回つくと1種の悩み
から解脱し、108回ついた後、来年は凶事にあってかえって吉事にかえり、平安幸福になる。
寒山寺は蘇州で最も有名な寺院の一つであり、お参りに最も盛んなところでもある。歴史のお陰で、
ここは蘇州の人、他州の人、外国友人のあこがれた幸福を祈った地になった。毎年の大晦日、
数え切れない観光客、蘇州の住民はここに集まり、新年を迎えて鳴り響く
108回の鐘の音を聞く。そのうちに、心の中の悩みは一斉に吹き散らされている。
この時期蘇州に来たらこの寒山寺の鐘の音を聞き逃してはいけない。
このほか、静かさを求める人はここで「姑蘇城外 寒山寺、夜半の鐘の音 客船に至る」の
雰囲気を味わう事もでき、また竜踊り、獅子舞、評弾、曲芸を鑑賞し蘇州の美味しい軽食を
味わう事が出来る。(蘇州市観光局観光ガイドより)
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蘇州情報(12)-春節-110109
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日本では正月休みも終わり本格的に活動を始める頃ですが、中国では春節(旧正月)を
真近にして出稼ぎに来ている人達の心は故郷へと向かっている頃です。
『中国人の1年のうちで最も盛大な祝日が春節。生活儀礼を非常に重んじる蘇州では
春節の礼儀も盛大に行なわれる。師走の20日頃(日本では1月の20日頃)には各家庭
では大掃除し庭戸もきれいにする。24日の「送?」(かまどの神様を天上に送る)を機に
新年祝いの幕が開く。
師走の24日はかまどの神様が一家の一年間の良し悪しを天に昇って玉皇大帝に報告する
期日であるので、どの家も一家の来年の太平と無事を願い、ご馳走を用意して献上する。
「送?」の後、どの家も正月用の品物を買うのに忙しくなる。大晦日の夜に「接?」する。
(かまどの神様を家に迎える)
家の入り口や窓に春聯(対句)を貼る他、家の中に桃花樢木刻年画を貼り、来年の福運を
祈る。大晦日の夜には、肉円、卵ギョウザなどを食べる。肉円は一家団欒を象徴する物で、
卵ギョウザは色が黄色く外見が元宝のように見えるので、お金を儲けるにつながる意味がある。正月1日の朝に家を出て3回爆竹を鳴らす、これは「開門爆竹」と言われる。』
(蘇州市観光局観光ガイドブックより)
写真は正月用品を売る店と大晦日の寒山寺です。
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| 蘇州情報(11)-市内遠望-110104 |
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今回は最近の市内の様子をお伝えしたいと思います。
市内では1,2を争う高層(25階建て)のマンション(橋の欄干から望む真ん中)の
20階からの写真です。
今までに紹介した庭園風景と変わり、近代的な建物が立ち並び、高層化も進んでいます。
西南の方向に低い山が見える他は全くの平地、正に長江デルタ地帯の真只中です。
商業ビルと共に、高層マンションも新築ラッシュですが、不思議な事に出来上がった
それらの建物を夜、眺めると約50%以上の部屋に電灯が灯りません。
市内の東に隣接する、工業園区(中国を代表する工業園区でバスに乗って通り抜ける
だけでも30分以上かかる広さで日本の著名企業もたくさん進出しています)内の
マンションも同様です。どうやら値上がりを見込んで、台湾、上海等の資産家が買い
漁って(?)いるようです。
エレベーターに乗り合わせた人に部屋を借りないかと声を掛けられたこともあります。
実際この2年間でマンション価格は50%以上は値上がりしているようです。
日本人が中国の不動産を取得する事は当然可能です。銀行のローンを借りる事も可能です
が中国人の保証人を要求されると思います。
中国の土地は国家の物です、従って不動産を購入すると言う事は建物と同時に土地の
利用権を買うという事のようです。その利用期間はマンションのほうが商業ビルよりも
長く50年位(正確ではありません、購入される際には良く調べて下さい)のようです。
では50年後にはどうなるのか??
現地の人たちは「50年先は解らない、中国の制度も変わっているでしょう」とのことで
した???!!!!
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蘇州情報(10)-芸 圃(げいほ)-101225 |
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(石路の近く、花火店と爆竹後)
夕方、近くの庭園をと思い出かけました。
早速、タクシーに乗り込み、行き先を告げると「不知道・・(知らない・・)」、違う
タクシーの運転手に聞いても「不知道」、4人目の運転手がやっと向かってくれました。
ところが、狭い道の入り口で止まり、ここから先は車が入れない、後は歩いて行ってくれ。
と言っているようなので、仕方なく指差された方に歩き始めた。
確かに車が通れるほどの道幅は無く、古い住宅街の生活道路でしかない。
20分位歩き回ったが見つからず、小さなタバコ、水等を売っている店の老主人に
メモを見せて、教えてもらう。「まっすぐ行って、左に曲がりなさい」と言っている
ようなので直進、突き当りを左折するが見当たらず、さらに通りがかりの人にメモを
見せて教えてもらいやっとたどり着く。
芸圃は明(1368~1644年)の時期に建造され、1995年に江蘇省の文物保護
部門に指定され、2000年にユネスコ世界遺産に組み入れられた。
前園、池と水を中心に造られており、池の北側に建築物、南側に山が築かれ、池の周りは
太湖石で造られた壁、小道がある。東側に明代の乳魚亭、西側には小さな庭で、丸い風穴
の門を通じて他の景観区と隔たっている。(蘇州市観光局 観光ガイドより)
帰り道、先ほどのタバコ屋の老主人にデジカメの写真を見せながら、たどり着けた事を
知らせると、老奥様と共に喜んでくれた。
帰りの道すがら「ここの庭園は観光ルートには絶対に入っていない、日本人で見学したのは、
もしかすると小生だけかも・・・」なんて思いながら10分ほど歩くとそこは市内第二の
繁華街『石路』でした。
後日談、どうしてタクシーの運転手が知らなかったのか世界文化遺産の「芸圃」を知ら
なかったのか?ガイドブックは日本人用に書かれた「芸」の字は中国語には無く「草冠に乙」
の字であれば解るとのことでした。
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蘇州情報(9)-怡園-101218 |
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(写真は怡園の近くにある老舗店と昼食料理)
市内第一の繁華街、観前街のメインストリートを東に歩くと人民路に突き当たり、
右に曲がったところに怡園があります。
怡園は清時代末期に顧文彬という官吏が論語の中の「兄弟怡怡」(兄弟たちが喜んで
暮らしている)からとって名付けたとのことです。
園内は二重回廊を境に東西両部に分けられ、東部は明代の閣僚クラスの官吏呉寛の旧宅で
建築物と庭、西部は拙政園を原本として建造されたもので、築山と池を主な景観としています。
(蘇州市観光局の蘇州観光ガイド参考)
周りの喧騒に思わず見過ごしてしまいそうな入り口で、見るからに庭園といった雰囲気は
感じられません。入園料も45元(約720円)と他の庭園より3~4倍高く、思わず
料金表を見直しました。
片言の中国しかわからない一人歩きゆえ、ひたすらなんで高いのか、他の庭園と比べ飛びぬけて
感激するような物もないし・・・と思いつつ散策。
後で現地の人に聞いたところ、庭園内にある茶店でお茶を飲むことも、二胡の演奏を聞くことも
出来る料金が含まれ、地元企業の懇親会等に良く利用される庭園とのことです。
本来の雰囲気を期待していくと少し期待はずれなところも目にするかもしれません。
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蘇州情報(8)-西園-
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(写真は西園と関係ありません。蘇州でのスナップです)
市内繁華街の一つ、石路から西に歩いて10分位の所に西園はあります。
(さらに15~6分歩くと寒山寺です)
ここは寺院の戒憧律寺と西花園の放生池の総称で、元代に建造され、原名は
帰元寺と呼ばれたそうです・
敷地面積は6万5800平方メートル、寺院は四大天王殿、本殿、五百羅漢堂
観音殿と藏経楼からなっています。羅漢堂内の「気遣い層人」と「済公」の像は最も
有名とのことですが、残念ながら撮影禁止の為、ご紹介出来ません。
確かに見上げるほどの大きさで迫力満点です。
こちらの羅漢像も中国らしく?金色に彩られており何故か全像微笑んでいるように見えます。
ウイークデーだった事と早朝の為、人も少なく、木立と池と古楼、奇石の組み合わせで
作られた、庭園をゆったりした気分で散策できました。
池のほとりで大きな亀の石像を見かけました。吉祥の使い?縁起の良いものとして祭られて
いるようです。
西園の南側を流れる川とそれに架かった橋はこれもまた蘇州を代表する風景と言えます。
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蘇州情報(7)-寒山寺-101204 |
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市街の中心から北西方向にタクシーで10分程の所に寒山寺はあります。
日本からのツアーの定番で日本語があちこちから聞かれます。
寒山寺は天監年間(502~527年)に建造され、元の名称は妙利普明塔院と
呼ばれ、唐代の高僧、寒山と拾得が天台山の国清寺からここに来て、住職を務めたことから
今の名に改称されたそうです。
現存の建物の多くは清代に再建されたもので、正殿の壁沿いには18体の金メッキされた
羅漢が並んで座っています。正殿の後ろの鐘楼内には日本から送られた青銅乳頭鐘もある。
又、境内の一角に『楓橋に停泊する夜』という良く知られた詩の石刻があり多くの人垣に
囲まれている。
毎年除夜の鐘を突きに多くの日本人が訪れる寺でもある。
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蘇州情報(6)-滄浪亭-101127 |
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南北に走る人民路、東西に走る干将路が市内をほぼ4等分する。
干将路の南、人民路に面して東側に滄浪亭はあります。
歴史の有る古い庭園にしては、観光客が少なく落ち着いて散策できる穴場です。
ここは北宋の詩人「蘇舜欽」が建造したもので園外は一面の碧水に囲まれており、
それに沿った二重回廊は緑を抱え込み、園内の青々とした竹林と山林の野趣に富んだ
景色が一体となっており、静寂に包まれます。
『500名の賢人詞』は春秋時代から清時代までの2500年余りの時期に蘇州地域の民間の
賢人と知名の官吏594人の石碑彫刻の肖像画が嵌めこまれています。
「獅子林」「拙政園」「留園」と蘇州の宋、元、明、清の四大庭園に並列し
世界文化遺産に組み込まれています。
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| 蘇州情報(5)-山塘街-101120 |
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山塘街は全長3.5Kmの町並みで唐時代の詩人白居易が 蘇州の長官に就任した時、用水路と
道路、2つの道を同時に開通させ、日本でもお馴染の虎丘山(観光ツアーの定番)と蘇州城を
つないだ。水路が山塘河、陸路が山塘街である。
山塘街は市内を代表する繁華街、石路に隣接し、古い橋が山塘河を跨ぎ、古い民家、博物館にも
なっている古い会館、古い伝統演劇舞台、凧の専門店、銀細工の店、古い茶店、仕立て屋、木彫り
の店、骨董店、飲食店等が軒を連ねています。
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| 蘇州情報(4)-観前街と石路ー |

蘇州市を代表する繁華街の一つに「観前街」があります。 ここは、衣・食・住・行楽、全ての店舗が軒を
連ねています。
街前に『玄妙観』という寺院があることから、この名が付けられ、日本の浅草と新宿が一緒になったイメージです。
800メートル足らずのメインストリートには老舗の店から近代的な百貨店まで立ち並び、蘇州の土産なら、
何でも買い揃えることが出来るといっても過言ではありません。
土、日曜日ともなると、観光客と休日を楽しむ若者達でごったがえり、前に進むのも大変なほどです。
もう一つの繁華街に「石路」があります。
「観前街」と違いモダンな雰囲気が漂っている街です。
北石路広場には蘇州市最大の噴水池があり音楽のメロディーに伴って噴水は、高くなったり低くなったり、
夜にはライト アップされ、地面に敷かれた照明と相まって、雰囲気を盛り上げています。
商城(大型ショッピングセンター)、ホテル、映画館(市内唯一の)の他、マクドナルド、ケンタッキー、水餃子、
辛口のビーフン火鍋の店、ウイグル料理の店等が集中しています。
これらの店は終日たくさんの人々で賑わっています。 昔の石路地区は蘇州市郊外の埠頭であり、
蘇州と外地を連ねる商品集散地として繁栄したそうです。
(名残として観光船の船着場として今も使われています)
清の末期に洋務派の盛宣懐がここで道路を改修し、小石で 路面を敷くことから「石路」と名付けられたそうです。
写真は仕事で訪れたオーダーニット工場の庭先でのスナップです。
春節を飾る料理の素材で、魚、豚の頭そして兎と言っていましたが????。
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蘇州情報(3)-食は蘇州にもあり-101030 |

<今晩のおかず!? 山塘街の市場にて>
「霊気のあるところは霊気の有る人間を孕み生み出す」と言われる。
蘇州は中国で最も多くの知識人を生み出した都市である。記録によると、様々な時代において、
合せて51人の状元(中国の封建社会で国家クラスの官吏登用試験の合格者の中でトップの者)が
現れました。清代の114人の状代の中で蘇州籍の状元が27人も占めたそうです。
「霊気のある人が作ったものは特に精緻である」中国の工芸美術24種類の中で蘇州は
22種を占めている。錦、つづれ織、シルク、刺繍、舞台用衣装等の技術は歴史を重ね、
現古の蘇州の人々に連錦と引き継がれている。
蘇州の人たちの腕前は工芸美術品だけでなく、飲食の面にも具現されている。
蘇州のグルメは季節と加工の清巧さを重んじ、一つの体系をなすに至り、『蘇州料理』と
呼ばれている。
醤油で煮込んだ肉料理、軽料理、カステラ風お菓子、小麦粉を使った食べ物、蜜漬けなどを
味わってみると、柔らかさの中に暖かさがあり、さっぱりとした味の中に甘みがあり、蘇州の人たちの
性格に良く似ていることに気づかされるに違いありません。
「食は広州にあり」と日本でよく知られていますが『食は蘇州にもあり』です。
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蘇州情報(2)ー蘇州はこんなところー101023 |
蘇州は長江以南の水郷に位置し、中国で3番目に大きさの淡水湖である「太湖」に臨んでいます。
紀元前514年に築かれた蘇州城の城内には湖が密集しており、また、北京と杭州を結ぶ大運河も流れています。
水路や小さな川が縦横に交差し、水と陸が平行しており、川と街が隣り合っているような基盤型の構造を保ち
「小さな橋、流れる水、人家」という独特な水郷の様相が形成されています。また、文化遺産に認定された
古典庭園が9ヶ所に達します。当地を訪れた観光客いわく「蘇州は都市(まち)」全体が美しい庭園である」と。
<写真は市内中心を東西に結ぶ干将路と世界文化遺産(留園)の庭園>
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蘇州情報(1)ー蘇州はこんなところー 101010
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三国志の呉の国の都が置かれた蘇州は、上海に隣接する長江デルタ地帯の中心的都市です。
年間平均気温15~17℃と温暖な土地柄で、約600万人(市部220万人)の人々が暮らしています。
千年の古城、小郷の古い町並み、そして世界文化遺産に登録された古風な庭園を数多く有し「中国でもっとも
美しい所は長江以南地域。その中で最も美しい所が蘇州である。」と古くから称される、中国を代表する歴史
文化都市、観光都市です。
<写真は孫子の郷と虎丘山>
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