蘇州情報
 ニットプラン&ポムスの製品はこんこんな古城(まち)でつくられています

お知らせ(3月28日)

先週と同様に

オーダーニット工場は再開し,ほぼ平常に戻りましたが飛行機の運行状況によるものと

思われる荷物輸送が遅れ気味です。。

平常な状態に戻るにはもう少しかかるようです。

引続き、納期等に影響が出る可能性があることをお含みおき下さい。

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国内の工場は平常に稼働していますのでお気軽にお問い合わせ下さい。

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―臥薪嘗胆―200328


臥薪嘗胆とは中国春秋戦国時代、呉王夫差が父(闔閭)の仇である越王勾践を討つために薪の上に寝て

復讐心をかきたて、長い艱難の末にこれを破った。

一方、会稽山で夫差に敗れた勾践は、苦い肝を親書に掛けておき、寝起きのたびにこれをなめてその恥を忘れまいとし、のちに夫差を滅ぼしたという故事から

成る言葉で


仇を討ち、恥をすすぐために、長い間苦心苦労を重ねること。転じて、目的を達成するために苦労を耐え忍ぶこと。(Wikipediaより)


蘇州市の北西部に位置する虎丘景勝区。

臥薪嘗胆の故事の由来となった春秋戦国時代呉の国王闔閭(こうりょ)がこの地に葬られ三日後にその上に

白虎が居座ったことから虎丘山と呼ばれた。




ここに有る、雲岩寺の塔は「東洋のピサの斜塔」として有名である。

近年古跡発掘調査を試みたが倒れることを懸念し中止したそうである。

この塔は蘇州市のシンボルの一つでこの春の時期、芸術花会が模様され多くの人で賑わう場所であるが、コロナウイルス禍の今年はどうだろうか???


今や中国以上に心配な日本であるが「臥薪嘗胆」、全員でこの事態を克服すべく協力しましょう。



お知らせ(3月21日)

オーダーニット工場は再開し,ほぼ平常に戻りましたが飛行機の運行状況によるものと

思われる荷物輸送が遅れ気味です。。

平常な状態に戻るにはもう少しかかるようです。

引続き、納期等に影響が出る可能性があることをお含みおき下さい。

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国内の工場は平常に稼働していますのでお気軽にお問い合わせ下さい。

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―豚足の美味しい店―200321

この店は清の第6代皇帝乾隆帝が名付け親。


お忍びで訪れた地方行脚の折り、突然の雨に農家の軒下で雨宿りをした時ちょうど昼時で家の中から良い

匂いがして来る。
お腹が空いていたので、お昼をご馳走して欲しいと声を掛けた。


家の住人は「貧しい農家ゆえ、こんな物しか無い」と出されたのが「豚足の煮つけ」
この豚足のあまりの美味しさに感激した乾隆帝は「この料理を提供するお店を開きなさい」と
お店の名前を自ら書いてあげた。

その後お店は大いに繁盛し店を展開するようになった

その店の一つがこのお店(店の名前の文字は乾隆帝の書いたもの)

 

 

この日に食べた料理、豚足は勿論、すべての料理が「好吃!」


特にこの茸スープは絶品!!


コロナウイルスの終息はまだまだの様子。

早く収まって又これらの料理を食べに行きたいものだ。




お知らせ(3月14日)

オーダーニット工場は再開しました。

平常な状態に戻るにはもう少しかかるようです。

引続き、納期等に影響が出る可能性があることをお含みおき下さい。

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国内の工場は平常に稼働していますのでお気軽にお問い合わせ下さい。

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―蘇州銘菓と昼食―200314

 蘇州市内一番の繁華街「観前街」の一角に有るこちらのお店。


中に入ると蘇州銘菓が沢山並んでいる。


蘇州のお菓子は一般的に甘いお菓子が多い


一番奥に入ると麺のお店が有る


こちらも百年老店、有名な老舗の麺店


この日は甘煮の牛肉を乗せて


小籠包も旨い



コロナウイルスによる感染が峠を越えたとの報道が有る中国だがまだまだ平常には程遠い。

これらの写真は3年前の3月に訪れた時の様子、今はどうしているやら。




お知らせ(3月7日)

オーダーニット工場は再開しました。

平常な状態に戻るにはもう少しかかるようです。

引続き、納期等に影響が出る可能性があることをお含みおき下さい。

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国内の工場は平常に稼働していますのでお気軽にお問い合わせ下さい。

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―3月の蘇州Ⅱ―200307

 先週に引き続き3月の蘇州の様子。<写真は今年の物ではありません>

呉の国の都が置かれた蘇州古城は四方を濠と城壁で囲まれている。


こちらは北側の城門





東西を結ぶ干将路に植えられた草木の花

 

散策の途中で見かけた老人ホーム

日本以上に少子高齢化が進む中国では老人対策が進められているようで

先日も地方政府の役人を日本の老人ホームの視察に案内した。

彼らの計画は写真のような小規模ではなくなく五百戸規模の物を考えているとの事(運営はどうやるのと

心配になるが)


井戸、今でも使われている?


路上では春の果物の店

点心のお店も


コロナウイルスで大変な中国にあって、蘇州の工場もようやく再開した。

平常に戻るのにはもう少し時間が掛かるようであるが一安心。





お知らせ(2月29日)

北省武漢市を中心に新型コロナウイルスによる肺炎が広がっている影響で

オーダーニット工場は正常な状態にまだなっておりません。

引続き、納期等に影響が出る可能性があることをお含みおき下さい。

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国内の工場は平常に稼働していますのでお気軽にお問い合わせ下さい。

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―3月の蘇州―200229

 明日から3月、蘇州の3月は街路樹や公園、民家の軒先に芽吹きと花が咲き始め一気に春めいてくる。
(写真は今年の物ではありません)


25階からの眺望>


<平江街区にて>


<民家の軒先で>

<東西のメインストリート干将路>



25階から夕陽を眺める>

 コロナウイルスの影響で蘇州の工場もいまだに再開できずにいる。

1日も早く平常になり、安心して訪れることが出来るようになることを祈るばかりである。



お知らせ(2月22日)

北省武漢市を中心に新型コロナウイルスによる肺炎が広がっている影響で

オーダーニット工場は正常な状態にまだなっておりません。

引続き、納期等に影響が出る可能性があることをお含みおき下さい。


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―呉越同舟―20022

紀元前五世紀ごろ、今の蘇州市の郊外、穹窿山に孫武が隠居し「孫子の兵法十三篇」を書いた。


この九地編に書かれた一節

「夫呉人与越人相悪也 当其同舟而済而遇風 其相救也 如左右手」

『夫(それ)呉人と越人は相悪む(あいにくむ)も 同舟し済り(わたり)て風に遇ふに当たりては 

其の相救ふこと 左右の手の如し。』


(呉の人と越の人は互いに憎み合っているが、偶然同じ渡し舟に乗り合わせて、川を渡るあいだ嵐に

あって助け合う様子は、まるで左右の手のようだった。)


『紀元前五世紀ごろ呉の国(今の蘇州)と隣国の越(今の浙江省)は足掛け30年以上にわたり争いを繰り広げていた。

その間、両国の人も互いに憎しみ会っていた。

そんな時に両国の国境を流れる川の小さな渡し船に両国の人々が乗り合わせた。

一触即発の両国民を乗せた舟が川の半ばにさしかかったころ、にわかに天候が悪化して、舟は激しい波風を

受けて木の葉のように翻弄されます。


船頭がなすすべもなく途方に暮れていると、さっきまで目を背け合っていた呉と越の人たちが立ち上がり

ます。彼らは敵同士とは思えない鉄壁のチームワー
クを発揮して、たちまちのうちに帆を下ろし、力を合わ

せて舟を操りながら無事対岸にたどり着きました。

その故事から、「たとえ犬猿の仲でも同じ危機に直面すれば団結して対処する」ことを「呉越同舟」という

ことわざが生まれたといわれています』
WEBから引用)


コロナウイルスの終息はまだまだの様相である。

これの発生源とされる武漢市は非難の的になっているようだが、こんな時こそ中国全土、そして日本も

コロナウイルスの終息に向けて「呉越同舟」の精神を発揮すべきであると思う次第。




お知らせ(2月15日)

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オーダーニット工場は一部で操業を開始しましたが正常には至っておりません。

湖北省武漢市を中心に新型コロナウイルスによる肺炎が広がっている影響で社員全員体制になっていないようです。

引続き、納期等に影響が出る可能性があることをお含みおき下さい。


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ペルー産のアルパカニットの取り扱いもしております。

お気軽にお問い合わせください。


―春節明けのニット工場―200215

1年前の2月下旬、小生は張家港に有るニット工場を訪れていた。

(写真はその時の物です)

カシミヤセーターを
1枚からオーダーで作ってくれる当社の協力工場の一つです。

去年訪れた時の春節飾りが残っている庭やご馳走になったお昼の料理、お酒の味が懐かしい。












<自家製の酒、少し酸っぱい日本酒?>

今年の春節前(1月中頃)中国に行くことを考えていたがスケジュールが合わず中止したのだが、

今日の新型コロナウイルスの騒動を連日マスコミで見ると・・・。

蘇州界隈の工場は春節休みが終わった今もいまだに正常の操業体制になっていない、この工場も

今月末頃から操業を予定しているとの事。

早く騒動が収まって安心して行けるようになってほしいものである。




お知らせ(2月8日)

春節休みを終え、オーダーニット工場は営業再開予定ですが

湖北省武漢市を中心に新型コロナウイルスによる肺炎が広がっている影響によりまだ再開されておりません。

再開の暁には改めてお知らせしますが、納期等に影響が出る可能性をお含みおき下さい。

―鑑真和上―200208

 中国で発生したコロナウイルスによる肺炎は今もなお終結が見通せない。

そんな中、日本から武漢へ送られた支援物資に張られた文字が中国で話題になっている。

「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁
              
 (地域や国が異なっても、風月の営みは同じ空 の下でつながっている。

                この袈裟を僧に喜捨し、ともに来世での縁を結びましょう。)

この言葉は遣唐使の時代日本僧の栄叡と普照が鑑真のもとを訪れ、受戒システムがない日本仏教を救う

ために誰かを派遣してほしいと懇願した。


同時に仏国を目指した持統天皇の孫、長屋王が唐に贈った袈裟千枚の縁に刺繍されていたのがこの文字。

これを読み自ら日本に行くことを決意した鑑真和上は5度の渡海に失敗し6度目の渡海でようやく日本に

着くことができた。


その後今日の世界遺産にもなっている唐招提寺を創建し戒律を教え、76歳でその生涯を閉じた。

この鑑真和上が6度目の日本への渡海を決行する前に訪れたと言われるのが

ここ張家港市の郊外に有る永慶寺。









鑑真和上の渡海成功の祈念を叶えてくれた、この永慶寺に遠くからではあるがコロナウイルスによる肺炎の

終焉を祈念することにしましょう


―加油!!(頑張れ!!)―200201

 湖北省武漢市を中心にコロナウイルスによる肺炎が広がっている。

蘇州での感染者の報道は見聞していないが知人の様子は心配だ。

過って蘇州滞在時に、朝起きた時から腰の後ろ回りがもやもやして気持ち悪く我慢できずに、

通訳の
Lさんに言って市内の大きな病院に連れて行ってもらった。


受付にはすでに100人近くの人が詰めかけており、それを見た時に「これでは診察してもらうまでに何時間

待つことになるやらと」とガックリした。

通訳のLさんは救急外来の看板の受付に行き「彼は外国人(日本人)だ、至急診てやって欲しい」と

交渉してくれ、すぐ診てもらうことができた。


原因は胆管結石で、その日は点滴を4時間位掛かって済ませ、明日になっても収まらないようであれば、

入院しなさいと告げられた。

お陰様で入院することなく帰国できたが、Lさんの機転と病院のスタッフに感謝である。

(もっとも、診察の時は外国人(日本人)だからだったのか?何人ものドクターが覗きに来た)


新聞、TV等の報道によると武漢市をはじめ中国の多くの病院でコロナウイルス感染有無の診察を受ける

ために長時間にわたって待たされている人々がいる。

そして少しでも早く診てあげたいと病院の医師、スタッフの方々は懸命に対応しているに違いない。


「加油!!中国」 「加油!!武漢」 「加油!!蘇州」


―春節の思い出―200125

今日は春節、中国では「新年快楽!」の言葉が飛び交っていることだろう。

<写真は数年前、春節の時期に蘇州を訪れた時の物です。>

石路の広場に

日本人ツアー客良くも訪れる山塔街


多くの人で賑わっている



春節が過ぎるともうすぐ春




今、春節の休みを利用して多くの中国人が日本にやってきている。

中国武漢で発生した新型コロナウイルスによるものだろうが、ほとんどの人がマスクをしている。

(小生が中国を訪れる時、マスクをしていると奇異な目で見られたものだが)

過ってSARSウイルスの頃蘇州に行ったことが有る。

飛行機が到着すると白衣の防菌服を纏った数人が機内に現れ、乗客の一人一人に拳銃のような物を

突き付ける。

体温を調べていることは分かるものの、決して良い気持ちはしなかったことを思い出す。


―春節―200118

 今年の春節(旧正月)は125日から。

中国の人達にとって一年で最も嬉しい、楽しみな時期。

民族大移動はすでに始まっており、工場の労働者たちも出身地によってだろうかすでに帰省した人も

たくさんいるようだ。



<普段のバスターミナルの様子、春節の時期は人が溢れる>

上海のバスターミナルの帰省ラッシュ風景は日本でもお馴染だがここ蘇州の北站、南站のバスターミナルも

1週間でも通常の2~3倍の人で溢れている。

手に持ち切れないほどのお土産を持った出稼ぎ風の人達の荷物の重さは故郷を思う気持ちと同じ

重さなのだろう。

一説によると春節の時期、蘇州市内人口23万人の内60%が居なくなるそうだ。

今年は見る事が出来ないだろうが、6年前には正月を迎える午前0時になると市内中で一斉に打ち上げられた

花火が
360度の大パノラマで見ることが出来た。

春節に飲み、食べる食材が店先にはたくさん並んでいる。



 

 

どんな料理になるのか?




<写真は今年の物ではありません>

―春節前―200111


 『中国人の1年のうちで最も盛大な祝日が春節。

生活儀礼を非常に重んじる蘇州では春節の礼儀も盛大に行なわれる。


師走の20日頃(日本では1月の20日頃)には各家庭では大掃除し庭戸もきれいにする。24日の「送灶」(かまどの神様を天上に送る)を機に新年祝いの幕が開く。

師走の24日はかまどの神様が一家の一年間の良し悪しを天に昇って玉皇大帝に報告する期日であるので、どの家も一家の来年の太平と無事を願い、ご馳走を用意して献上する。「送灶」の後、どの家も正月用の品物を買うのに忙しくなる。


大晦日の夜に「接灶」する。(かまどの神様を家に迎える)

家の入り口や窓に春聯(対句)を貼る他、家の中に桃花樢木刻年画を貼り、来年の福運を祈る。

大晦日の夜には、肉円、卵ギョウザなどを食べる。肉円は一家団欒を象徴する物で、卵ギョウザは色が

黄色く外見が元宝のように見えるので、お金を儲けるにつながる意味がある。


正月1日の朝に家を出て3回爆竹を鳴らす、これは「開門爆竹」と言われる。

(蘇州市観光局観光ガイドブックより)』

写真は16年前の春節の様子を撮影したものです。

現在は市場も近くに移設され近代的になっていますが店頭に並ぶ食材は当時も今も豊富です。






『正月1日の朝に家を出て3回爆竹を鳴らす、これは「開門爆竹」と言われる。』

と 蘇州市観光局観光ガイドブックに記載されていますが

今は爆竹を鳴らすことは禁止されており、この時期花火を店頭に山程積んだ店は姿を消しました。

空気清浄化の一環とは言え、風物詩がまた一つ消えました。


―正月―200104

 明けましておめでとうございます。

今年も相変わらず蘇州情報です。

蘇州の正月は日本と違って静かです。何故か?

それは言わずと知れた中国は旧正月・春節が本番だからです。(今年は1月25日が春節)

この時期の店先はイチゴをはじめ、多くの果物が並べられ、色鮮やかです。




梅も咲き始めます。




6連休もあっという間に過ぎようとしていますが

今年も元気に過ごしましょう。


―寒山寺Ⅲ―191221


 もうすぐ大晦日、地元の人に聞いても明確なこと絵が返ってこなかったが

調べてみると寒山寺でも除夜の鐘が撞かれるそうだ。

『寒山寺では、毎年大晦日には除夜の鐘が鳴らされることになっており、その鐘の音を聴くと10歳若返ると言われており、こんにちでは誰が撞き手の一番

手となるかをせりにかける行事が恒例となっている。除夜の鐘を聞きながら新年を迎える行事は、1979に藤尾昭が発起人となって始まった

以後、12月31日には日本ばかりでなく、韓国をはじめとする各国の観光客や中国人も大勢参加するようになった。』(Wikipediaより)

境内の鐘楼は思いの他小さい。(境(鐘の大きさは直径1,24m、高さ1,3m、重さ2t)


<この鐘は今の鐘楼の鐘ではありません>

と思っていたら、隣接地に大きな鐘楼と碑が建てられていた。




高さ8.6m、直径5.24m、重さ10.8t境内の鐘の5倍以上の鐘が吊るされている。

近くには張継の七言絶句「楓橋夜泊」の巨大な碑も。

いま日本では除夜の鐘を突かない寺院が出てきているとの報道が有る

鐘の音がうるさいとの苦情だそうだが???

<写真は今年の物では有りません>


―寒山寺Ⅱ―191221

ご年配の方々には懐かしい?「蘇州夜曲」の中にも登場する寒山寺。


境内の各所に「張継」の七言絶句「楓橋夜泊」の碑を見ることが出来る。

「張継」の像が隣接の楓橋景区の中に七言絶句の碑と共に有る。





月落烏啼霜満天、月落ち烏(からす)啼(な)きて霜(しも)天(てん)に満(み)つ

江楓漁火対愁眠。江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対(たい)す

姑蘇城外寒山寺、姑蘇(こそ)城外(じょうがい)の寒山寺(かんざんじ)

夜半鐘聲到客船。夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到(いた)る



<寒山寺の塔を望む>


もうすぐ正月、こちらもどんなご馳走になるのか?


<写真は今年の物では有りません>

―寒山寺―191214 


寒山寺の由来は唐代、風狂の人寒山がこの地で草庵を結んだという伝承にちなむとされる。


中国語では「寒山拾得」を「和合二」または「和合二聖」と称する。両者とも詩作をよくし、

ことに寒山は「
寒山子詩」と呼ばれる多数の詩を残している。寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の再来と

呼ばれることがあり、また師の豊干禅師を
釈迦如来に見立て、併せて「三聖」あるいは「三隠」と呼ぶ。』(Wikipediaより)

もうすぐ年末

以前除夜の鐘は日本と同じく108撞かれるのか聞いてみたが正確な答えは帰ってこなかった。


街なかで見かけた正月料理の準備? どんな料理ができるのか???


<写真は今年の物では有りません>


―季節の食べ物―191207

 この時季、蘇州で売られている食べ物。

果物も店先に豊富に並べられている。


麺の具には「松茸」


なんといってもこの季節を代表するのが「上海蟹」

市内から北にバスで1時間半位走ると上海蟹の獲れる陽澄湖。



10月が旬と言われるが今の時期には市内のあちこちの店で売られている。

日本では高級中華料理の食材だが現地では大きさにもよるが8元から15元(約130円~240円)位で売られている。


前にも紹介したがこの時期日本には「上海蟹族」なるものが現れると?

用事を作って上海に出張するサラリーマンが増えるとか?


通訳のLさんから茹で上がった蟹を頂いて食べたことがあるが一人部屋で食べるより賑やかな料理店で食べる方が美味しいことは間違いない。



―公園を覗いてみると―191130

ここは蘇州市内の繁華街、石路に有る小さな公園、七里山塔街もすぐ近く。


いつも多くの人で賑わっている。


何をやっているのか覗いてみると・・・



トランプゲーム、将棋に興じる人、それらを熱心に見る人。

土曜、日曜日には数か所でミニ舞台が現れ楽器片手に、マイク片手に熱唱する人も現れ、

それを取り巻いて多くの人が見入っている。

中国では公園、広場と言えば「太極拳」をする人を思い浮かべるが、蘇州では見かけたことが無い。

太極拳の代わり?に社交ダンスをする集団はよく見かける。

夕食後の社交ダンスは健康に良いとの事。



見かけると言えば最近の蘇州には日本でもお馴染みの店ができている。

ファミリ―マート(全家)に続き、ローソンも。


山塔街の近くにはスターバックスが。

看板をよく見ないとそれとは見えないが

日本の京都と同じように街並みに溶け込むような規制が有るのだろう。




こちらは公園と違い若者で賑わっている。



―明月古寺―191123

中国には道教寺院と仏教寺院が有るがこの木涜古鎮、山塔街の中ほどに有るこの寺院は仏教寺院。

















山塔街の人混みが嘘のように静かな佇まい。

唐の時代に建てられたこの寺院、それぞれが新しく感じたがそれもそのはず

「文革」の時に破壊されたが1993年に修復されたのが今の姿。


―木涜古鎮―191109

地下鉄1号線の西の終点「木涜」、ここからバスに乗り換え10分程行ったところに有る。

市内の七里山塔街と似た水路と道路が並行して走り多くの観光客で溢れている。



 

多くの観光客が山塔街だが一歩裏道を覗くとそこは別世界の光景も。

 



 乾隆帝も訪れた景勝地、歴史を感じさせられる「木涜古鎮」である。

―木涜古鎮Ⅱ―191116

先週に引き続き木涜古鎮。

市内中心部に有る七里山塔街は残念ながら今風に模様替えしたお店が増えてしまっているが

こちらの木涜古鎮に並んでいるお店は昔ながらの雰囲気を保っている。













旧跡を見るのも楽しいがお店に並んだものを見て回るのも楽しい。


―白居易と山塔街―191102

 白居易(白楽天)は唐の時代の人で、詩人として日本でも有名。


唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌った「長恨歌」(ちょうごんか)は「源氏物語」にも

影響を与えている長編の漢詩。

この白居易(白楽天)が蘇州の張簡易就任した時、用水路を開削し、道路を築き、

全長
3.5Km蘇州城と虎丘山をつなぐ水陸2つの道を開通させた。






これが現在も多くの観光客が訪れる山塔街。



白居易(白楽天)は詩人としてだけでなく行政長官としても功績を今に残している。


―八仙と七福神―191026

中国人なら知らない人がいないほど有名なのが「八仙」

この群像が蘇州市内の繁華街「石路」の一角にある。


八人の仙人はそれぞれが神通力を発揮する法器を所持している。

漢鐘離(カンショウリ)芭蕉扇  

張果老(チョウカロウ)魚鼓(楽器の一種) 

呂洞賓(リョドウヒン)

李鉄拐(リテツカイ)葫蘆(瓢箪)

韓湘子(カンショウシ) 笛  

藍采和(ランサイワ) 花籃(花かご)

曹国舅(ソウコクキュウ)玉板(玉製の板) 

何仙姑(カセンコ) 蓮の花

全員民間人の出身、庶民でも修行を重ねれば仙人になれるとの親近感が人気の秘密かもしれません。

ところで日本人なら誰でも知っている「七福神」の国籍をご存知ですか?

純粋な日本国籍は恵比須だけ、大黒天は日本とインドのハーフ、寿老人・福禄寿・布袋は中国、

毘沙門天・弁財天はインド。


Wikipediaより)

七福神の代表的な図柄の「宝船」、これは中国の「八仙渡海図」が元になったという説が有力だそうです。




―北塔報恩寺―191019

曹操、劉備と共に三国志の英雄の一人、呉の国初代皇帝の孫権が母親の為に建てた寺。






そこに建つ北塔は76メートルの高さ、中国で一番高いレンガ・木構造の塔だそうだ。


蘇州市内あちらこちらから望むことができ、蘇州の重要なメルクマールとなっている


弥勒菩薩の化身とも言われる布袋様。今までに見た中では一番の大きさです。

 

 

何度か訪れているが観光客の賑わいは無く、ゆっくりと散策することができる。


―蘇州状元博物館―191012


中国では官僚登用の制度として「科挙」という試験制度が隋の時代から新時代の末期まで1300年の長きに渡り存在した。


この科挙制度の最終試験で第一等の成績を収めたものに与えられる称号が「状元」である。


『その合格率は3000倍とも言われる。(日本で司法試験が厳しいと言われてもせいぜい30倍)

1300年の間にトップ合格者は552名、その内30名が蘇州に集中している。』(Wikipedia他より)


『ちなみにこの難関な科挙試験に及第した日本人が1人存在する。

かの奈良時代に遣唐使として吉備真備らと弱冠19歳で長安に留学した「阿倍仲麿」である。

「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」(WEBより)


―蘇州市名人館―191005

 蘇州美術館敷地内の奥まったところに蘇州名人館は有る。



戦国春秋、三国志の時代以前からの蘇州とは切っても切れない歴史上の人物の像から
近代、現代の人物画像・映像まで解説されている
.。



 

 

入ってすぐの部屋では、蘇州の事が理解できるよう三方の壁にスライドで映写され座って見る事が出来る。

   



 

 

訪れた日はウイクデーだったが多くの子供達の姿が有り、夏休み中とのこと。

自分たちの住んでいる蘇州の歴史を勉強するには最適の場所であろう。


―浦東空港植物園?―190928

先週と同じ浦東空港、第2ターミナル。



美術品だけでなく植物園のように多くの木々、草花が飾られている。






ターミナルの端から端まで、手入れするのも大変だろうなと思いながら

鑑賞しました。


―浦東空港博物館―190921

浦東空港は年間利用客数約1億人に上り、その数は成田空港の2倍以上。

今でも拡張工事が続いている。

その第2ターミナルの出発ロビーに数々の美術工芸品が展示されている。

 



 


 

 

これらは展示品の一部

出発時間に余裕が有ったこの日、退屈することなく過ごすことが出来た。

―中秋節―190914

中国では昨日が中秋節(13日)、月を愛でることができたかどうか分かりませんが国民の祝日で多くの工場も3連休です。




昨晩、当地では残念ながら名月を愛でることができませんでしたが

この写真は以前蘇州で見た中秋節の写真です。

そして中秋節と言えば「月餅」。

今回の写真は今年では有りませんがシルク工場の方から送って頂いた月餅と挨拶状です。




「仲秋快楽」中秋節おめでとうと言った意味でしょう。

数年前、この月餅が中国で贈答品として大流行したことを思い出しました。

日本の時代劇でおなじみの、箱の底の小判、商人と悪代官の袖の下に使われた贈り物のように

大きさにより値段が決まっており、ある所に持ち込むと現金に変えることが出来た。

その年は月餅を売る店は大繁盛したとか。

(この時の箱の底には何も入っていませんでした)

今晩は十五夜、名月を愛でることが出来ますように、祈りましょう。


―浦東空港博物館―190907

浦東空港は年間利用客数約1億人に上り、その数は成田空港の2倍以上。

二つのターミナルが中心で今でも拡張工事が続いている。


その第二ターミナルの一番東奥に博物館が有る。帰国の折り偶然見かけて覗いたもの。



入口の前には花壇が。


日本の昭和時代を彷彿させる品々。




裕福な上海人の生活の様子に思えるが??

このターミナルには他に多くの美術品、植物が飾られているがその様子は又の機会に。


蘇州絲綢(シルク)博物館―190831

蘇州の特産品の一つ 絹織物。

この博物館はその歴史を目にすることができる所。






学校の授業に関係するのか?見学者の中には、子供たちの姿も目にする。


子どもの頃を過ごした田舎では通学路に桑畑が有り










蘇州市内ではないが、中国一豊かな鎮(村)と言われる所がある。

蘇州市内からバスで2時間半くらい南に行った所「盛澤鎮」

何度か訪れたことが有るがシルク、ここはシルクに関係した会社が集中しており村どころか大都会である。


―蘇州美術館―190824


久しぶりに訪れたこの日はウイークデーだったせいか来場者も少なくゆっくりと鑑賞できた。



敷地内には蘇州市文化館、蘇州市名人館も有る。

3館とも入場料は無料。

この日展示されていたのがこちら。
















写真では一部しかご紹介できないのが残念です。


―白居易と山塔街―190817

山塔街は全長3.5キロ、唐代の詩人白居易が蘇州の長官に就任した時、用水路と道路を同時に開通させ

蘇州城と虎丘山をつなぎ、水路が山塔河、陸路が山塔街。



往時の面影を残す古い民家、古い橋、会館、伝統演劇舞台、仕立て屋、茶屋が有り、

最近では現代風のお店も進出し(残念な気もするが)いつも多くの観光客で溢れている。









ここを造った白居易(白楽天)は『平安文学に多大な影響を与え、その中でも閑適・感傷の詩が受け入れられた。菅原道真の漢詩が白居易と比較されたことや、紫式部上東門院彰子に教授した(『紫式部日記

より)という事実のほか、当時の文学作品においても、『
枕草子』に『白氏文集』が登場し、『源氏物語』が白居易の「長恨歌」から影響を受けていることなどからも、当時の貴族社会に広く浸透していたことが
うかがえる。』(
Wikipediaより)




山塔街の入口近くの白居易資料館(住居跡???)

蘇州市内の繁華街(石路)に隣接する山塔街は出張の折り、何かと足の向く所です。


―食料品市場―190809

蘇州市内に何か所も市場は有るが山塔街に隣接したここが一番近代的で大きな市場かも知れない。


もともとは山塔街でも観光客があまり訪れない地元の人が住む奥まった所に有ったのが移設されたもの。
(元の場所でもやっているお店も有る)


食材が所狭しと並べられたお店の周りは多くの買い物客で賑わっている。


肉類のコーナー

 

 

魚介類のコーナー



季節のフルーツのコーナー

 

季節の野菜コーナー

 

蘇州市の役所が価格の管理をしているようです。


―蘇州工芸美術博物館Ⅱ―190803





今回は彫刻の数々。


玉の彫刻




象牙の彫刻品


沢山の仏様




硯??

実物を見ると写真では伝えきれないものが感じられます。


―蘇州工芸美術博物館Ⅰ―190727

 連日観光客で溢れる蘇州博物館から10分ほど歩いた所に有る。

入場料は5元(約80円)

展示されている工芸品、美術品は蘇州美術館の展示物と比較しても遜色ないと思える。

博物館は過去のものが展示されているが、ここは現代の作家のものも多く展示されている。


今回はその内の刺繍作品の数々。

『蘇州刺繍は中国三大刺繍の一つでおよそ2500年前、呉の国の時代から盛んに行われていたといいます。
特徴としては、髪の毛よりも細い糸を縫い重ねることで刺繍表面があまり盛り上がらないこと、布地が波たたないこと、またシルク100%の染色糸を使用しており、美しく華やかで気品にあふれています。
作品はすべて手作業で制作していくので、超大作は1年以上の年月をかけて製作されます』http://www.so-bien.com/kimono/brand/sosyuusisyuu.htmlより


入館するとまず出迎えてくれるのが、ご存知「毛沢東」

これも刺繍です。


老人二人





全部刺繍作品です。

すべて手作業で縫い上げるこれらの作品の緻密さは素晴らしい!の一言に尽きます。


―民族楽器―190720

観前街は市内一の繁華街、その中心が道教寺院の玄妙観。

その両脇に東京浅草の仲見世のように並んだお店の一角にこの店を見かけ

覗いてみた。


オカリナに似た楽器は「グーシュン=古 土編に員」と呼ぶそうだ。


店主が奏でてくれた音色はやはりオカリナに近い音、優しい音色だ。


他にも横笛他、数種類の楽器が並んでいる。


蘇州の音楽と言えば「平弾=ピンダン」「崑曲=コンキョク」と思っていたが

もっと庶民的な楽器が有ったのだと、新発見の時でした。

―蘇州の麺―190713

いつも行く近所の薬局で目にした小雑誌に蘇州の文字を目にして読んでみた。


『蘇州の麺料理は有名で、街中には屋台から100年続く老舗まで麺を食べさせる店が数多くある。肉や魚、野菜など具の違いによって多くの種類が有る。誰でもお気に入りの店を持つほど、蘇州の人々の食生活の一部になっている』



『蘇州の麺は細めでつるっとした食感のものが多い。子どもから老人まで食べやすいのも人気の理由だ』

今回観前街のいつもの店で食べたお昼の麺はこちら。




具は、初めてのメニュー北京ダック、30元(約480円)なり。

この店は老舗中の老舗。いつも多くの人で賑わっている。


―陝西省料理―190707

久しぶりにこの店で昼食。


店に飾ってある杵と臼(?)


トマトベースの味で野菜が沢山入っている、麺は幅広、日本の放蕩料理に似ている。

先日甲府に行って放蕩鍋をご馳走になった。

その時の話題を思い出した。

放蕩は中国伝来の料理との事、ワンタンは中国語で馄饨 (フアンタン)

これがホントン、ほうとう(放蕩)になったのではと。



―双塔―190629

蘇州中心地から南東方向にありバスで行ける。

北宋時代(982年・・日本の平安時代)に建てられた羅漢院に建てられた二つの塔で

民間では双塔寺と呼ばれている。




古い町並みの中に有り


二つの塔は東西に肩を並べて聳えており、七段八角の楼閣楓。

木造塔をまねたレンガ塔。





観光客の姿はほとんど見かけない。







木涜古鎮―190615

蘇州市内から南西10Kmほどにある。バスでも地下鉄でも行ける

紀元前、「臥薪嘗胆」、「会稽の恥」の有名な述語が生まれた呉越戦争の時代に登場する街。

週末と言わずいつでも多くの観光客で賑わっている。見所もたくさん有り、一日では回りきれないかも。

 




今回は往時の面影を今に残す、街中で見かけた食べ物、土産物店の様子を。

 

 

 

蓮の花、バラの花もひっそりと

 



―霊厳山寺―190622

木涜古鎮の西に隣接する霊厳山景区中心の寺院が霊厳山寺。

30分から1時間かけて登ると寺院がある。参道はハイキングコースのようになっており多くの参拝者が連なっている。

 今回は登らないで、門前のお店を覗く。

その中で目についたのが、竹細工の店。

竹籠を作る親を見て育った田舎を思い出し、筆立てを一つ買った。